長いカープの歴史において、故障に苦しみながらも再起を果たした数々の名選手たちが存在する。カープの黄金期を支えた投手、故・津田恒実もそのひとりだ。ルーズショルダー、血行障害から見事に復活を果たし1986年には『カムバック賞』も受賞した。いま改めて、不屈の闘志でマウンドに立ち続けた津田恒実の歴史を振り返ってみる。
◆ストッパー転向で完全復活
ルーキーイヤーから11勝を挙げて新人王を獲得するなど、先発として活躍した津田恒実(1984年までは恒美)。ところがプロ2年目の後半からルーズショルダーに併せて中指の血行障害で思うような投球ができず登板機会が減少した。
思うように力が入らない血行障害が致命傷となっていた津田は、世界初となる中指の靭帯摘出手術を決断。失敗すれば選手生命が絶たれる手術だったが、無事成功に終わり復帰後の1986年からはストッパーとしてフル回転の活躍を見せた。
この配置転換は功を奏し、登板時には150キロを超える勢いのある直球が復活。49試合に登板して防御率2.08、22セーブを記録した。またリーグ優勝に貢献する活躍により、カムバック賞の表彰も受けている。
座右の銘は『弱気は最大の敵』。圧倒的な投手力でV5を達成した1986年、苦境に立たされても決して下を向かない“炎のストッパー”が誕生した。
1993年、津田は脳腫瘍のため32歳の若さで逝去。その後はその功績を讃える『津田プレート』が旧広島市民球場に設置され、現在はマツダ スタジアム内の選手通路に設置されている。
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