球団初の3連覇を成し遂げた2016、2017、2018年、優勝を決めたマウンドには、常に中﨑翔太が君臨していた。三度の胴上げ投手となった中﨑だったが、2019年以降は故障に苦しむ時期が続く。故障、手術、リハビリを乗り越えた守護神が、自身の復活までの軌跡を振り返る。(全4回/第1回)

プロ16年目の今シーズン、ここまで27試合に登板している(7月6日時点)

◆復活を支えた周囲のサポートと、考え方の変化

—まず、昨季について伺います。3連覇を果たした2018年以来、7年ぶりに50試合以上登板されるなど、復活を印象づけるシーズンとなりました。改めてどのようなシーズンでしたか?

「やはり、使ってもらわないと、マウンドには立つことができないですからね。ケガをしても良くないですし、まずはそこが大きかったと思います。トレーナーの方、コーチの方々を含めて、周囲の方々にすごく助けられたからこそ、それだけ投げることができた。そういうシーズンだったと思います」

—2019年以降は、右膝や右腕など手術が続きました。しばらく故障との戦いやリハビリ期間を余儀なくされました。当時は、どのような心境だったのでしょうか。

「確かにその時期は体の不調も多くて、苦しい時期でした。自分としては2019年に膝の手術を受けたことで『よし、来年は行けるぞ』という思いでいたのですが、膝は良くなっているはずなのに今度は別の箇所が動かなくなるなど不調が続いて……。そこでもう一度検査をした結果、腕のケガが発覚しました。2年連続での手術になりましたし、特に右腕の時は入院の期間も長かったので、心が折れそうになることもありました。ただ、当時の佐々岡(真司)監督から『苦しいと思うけど、投げながら復調していこう』と声をかけていただき、一軍で投げる機会も与えていただきました。『ここまで考えてもらっているんだ』と思うと、佐々岡監督のためにも『どうしても結果を出さなければいけない』という思いは強くなりました」

—故障前と故障明けでは、以前のご自身との投球にギャップを感じることはあったのでしょうか。

「そうですね。やはり2019年から2021年にかけては、『以前できていたことをしっかりと取り戻さなければ……』という気持ちも強くありました。ただ、2022年頃からは考え方を変えて、故障前に戻ることを重視するのではなく、『今までできていなかったことや、新しい自分に挑戦すること』に目を向けるようになりました」

—考え方が変化するきっかけとなる出来事があったのでしょうか。

「一番は、リハビリ期間に二軍で投げて抑えることはできても、自分が思っているパフォーマンスが出せない試合が続いたことです。正直、メンタルの面でも考え込んだり、下を向いてしまう時期もありました。ただ、どんな時もサポートしてくれる方々や、応援してくださるファンのみなさんがいるのに、自分自身が中途半端になることは失礼になると思いましたし、『どうにか結果を残さなければ』と思った時に、考え方を変えてみようと決めました」

(第2回へ続く)

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