◆困難を乗り越えて

 1982年にドラフト1位でカープに入団すると11勝を上げ、球団初の新人王に輝いた津田だが、彼のプロ野球人生は苦難の連続だった。相次ぐ肩の故障や血行障害で先発投手として結果を残すことはできなかったのだ。

 転機となったのは1986年のストッパーへの転向だった。手術を乗り越えて、生き場所を与えられた津田の投球は一層迫力を増した。

 ストッパーである津田は決して逃げなかった。

 阪神のランディ・バース、巨人の原辰徳(現・監督)といった当時のセ・リーグを代表する主砲に真っ向から勝負を挑み、力でねじ伏せた。津田の剛球を強振した原は、ファールした際に手首の骨を砕かれたのは、有名な話である。

 1986年、カープは5度目のリーグ優勝を成し遂げた。勝てば優勝が決まる10月12日のヤクルト戦(神宮球場)。チームの思いを背に、北別府学からマウンドを譲られた津田は胴上げ投手となり、シーズン終了後にはカムバック賞を受賞した。

 1988年はストッパーながら9敗を喫するなど成績を落としたが、再び復活し、翌1989年にその年の最も優れた救援投手に贈られるファイアマン賞に輝いた。

 32歳でこの世を去った津田が遺したものは、数字以上に多くあるだろう。その最たるものが、困難に折れることなく立ち向かい、あきらめずに再起し闘い続ける姿勢だろう。