カープの若手、育成選手たちが一軍を目指して汗を流す、二軍の本拠地・由宇練習場。そこには、二軍調整中の選手を含め、日々さまざまな選手たちが集う。
現役時代、二軍で長い下積み生活を送り、一軍で活躍した安部友裕氏も、その環境で多くの時間を過ごした一人だ。大野練習場、由宇練習場での経験を持つ安部氏が、2024年のインタビューで語ったカープ二軍の現場。その言葉から、当時の二軍のリアルを改めて振り返る。
(『広島アスリートマガジン』2024年8月号掲載記事を再編集)
◆鍛錬を重ねた由宇練習場の日々。二軍でもっとも怖いのは……
僕はカープで15年間現役生活を送りましたが、その間には、二軍でプレーする期間も長くありました。若手の頃はもちろん、ベテランと呼ばれるようになってからも二軍を経験しましたが、感覚は全く違います。
若手の頃は必死で練習をして一軍を目指します。逆に、一軍を経験してベテランになり、二軍でプレーしていた頃は、自分の事だけを考えてプレーはしていませんでした。
周囲は若手選手が大半なので、常に見られていることを意識していました。若手選手は、『安部さんはこういう考えなんだ。こういう練習をしているんだ』とよく見ています。ベテランと呼ばれるようになってからは、彼らの模範になる意識で二軍で過ごしていました。
二軍で練習を重ねる上で、一番ダメな事が『二軍慣れ』です。
たとえば二軍で活躍して良い結果が続いていると『今の環境、状況が心地良いな』と感じてしまうことがあります。これが二軍慣れです。人はどうしても慣れが出てきますが、二軍に慣れてしまうのは、選手として一番怖いことなのです。
また二軍で選手たちが鍛錬を重ねる上で、指導者の存在は欠かせません。
多くの指導者の方々にお世話になりましたが、僕には忘れられないコーチが2人います。1人目は山崎隆造さんです。僕がプロ入りしたときの二軍監督ですが、いろいろと野球以外のことも話をしていただき、野球の基本を指導していただいた方です。印象的なのが、『正しいマックス』という言葉です。力づくでがむしゃらに力を出すのではなく、正しく体を使って正しく力のマックスを出していく、というものです。このように、山崎さんからは感銘を受ける言葉や指導があり、すごく印象に残っています。
もう1人は、入団時の二軍内野守備走塁コーチだった岡義朗さんです。岡さんを一言で言うと『愛情』ですね。当時、岡さんは大野寮の寮長も担当されていました。当時僕はもみあげが長く、岡さんから「ルパン!」と呼ばれ、「一緒にお風呂入るぞ!」と、すごく可愛がっていただきました。大野寮で生活を共にして、同じ時間を共有して、僕の父親のような存在でした。二軍は鍛錬の場ですが、そういう指導者との出会いというのも成長する上で大事な要素かもしれません。
■安部友裕 (あべ・ともひろ)
1989年6月24日生、福岡県出身
福岡工大城東高ー広島(2007年高校生ドラフト1巡目〜2022年現役引退)
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