11月1日、カープOB・田中広輔氏の内野守備・走塁コーチ就任が発表された。現役時代は『1番・ショート』としてチームをけん引し、引退後も愛あるコメントでカープを見守り続けた田中氏が、満を辞してチームに復帰する。

 誰よりも勝利にこだわり、常に先頭を走り続けた不動のリードオフマン。カープファンに驚きと喜びをもって迎えられた田中コーチが、現役引退時に語っていたチームへの思いを再編集してお届けする。(全2回/第1回)

コーチ就任会見に臨む田中広輔氏。「しっかり選手とコミュニケーションを取りながらやっていければ」と抱負を語った
コーチ就任会見に臨む田中広輔氏。「しっかり選手とコミュニケーションを取りながらやっていければ」と抱負を語った

◆二軍で腐らず好成績。現役続行に迷いはなかった

─2025年シーズンは、一軍で15試合の出場でした。振り返ってどのようなシーズンでしたか?

 「いろいろな覚悟を持って入ったシーズンでしたし、その中で1年間自分のやるべきこと、すべきことは貫いて、年間通してできたと思います」

─一軍で15試合の出場でしたが、マツダ スタジアムで代打で初出場した時は大きな歓声でした。

 「選手冥利に尽きると言いますか、もちろんうれしいですし、やっぱり『一軍って良い場所だな』と改めて感じました。いろんなプレッシャーもありますけど、やはりプロ野球選手はここでプレーしていないといけないなと改めて感じました」

─二軍で若手と一緒にプレーする期間が続きましたが、61安打、打率.333と結果が残りました。

 「良い見本にならなきゃいけない、圧倒的な数字を残さなきゃいけないと思っていたので、それを1年間思い続けてやっていました。下手なプレーを見せられないと言うか、隙を見せてはいけないと思っていましたね」

─9月に退団という決断をされましたが、迷いはあったのでしょうか?

 「それは全くないですね。今年1年間やってきたことが、二軍であれ数字として現れたので。たとえば自分の体が悲鳴を上げているのであれば辞めようと思っていましたが、それは全くありませんでした。球団の事情もありますが、体調は万全でまだまだできると思っていたので決断に迷いはありませんでした」

─退団が決まり、10月4日の最終戦に出場するということが決まった時はいかがでしたか?

 「二軍の由宇での最終戦に家族を呼んで、僕の中ではもう締めていたので……もう1回気持ちをつくらなきゃいけない、体をつくらなきゃいけないという思いもありました。最終戦の遠征について行ってはいたので、体自体は動くかなとは思っていたのですが、やっぱり気持ちの面で、“もう終わりだ”と思っていた時に電話がかかってきたので(苦笑)。ただ、両親や親戚の方にも見せるチャンスだったので、ありがたい気持ちでした」

─最終戦では『1番・ショート』で菊池涼介選手との二遊間コンビ、1、2番コンビでの出場となりました。

 「懐かしいなと感じましたね。一緒に長年やってきたポジションと打順だったので、しっくりきましたね」

─9回の1死の場面で交代となり、田中選手だけの時間が流れました。

 「やはり幸せでしたね。たくさんの時間をいただいて、最後は360度見渡して、ゆっくりグラウンドでの時間を噛みしめながら過ごしました」

─スピーチでは今のチームに対する思いを感じられる内容でした。

 「その場を設けてもらったことへの感謝はしっかり伝えようと思っていました。あとは監督の挨拶を聞いてから考えました。叱咤激励と言いますか、いろんなことを言われますが全て監督のせいではないですし、やっぱりプレーするのは、選手です。『監督が選手を守る』というか、コメントでカバーしてくれていましたが、うれしい反面、選手はそれに甘えてはいけないと思うんです。挨拶で僕も言いましたが、一軍は勝ってなんぼの場所です。勝ちが全てで、お金を払って見に来てくれているファンの方がいて、負けの試合を見せるのは一軍の場ではないと、僕はそう思っています。そう言われて育ててもらって、ここまでやってきたので、もう1回改めてほしいなと。若い選手たちは途中から多く出場することもあって、勝てない時のプレッシャー、打てない時のプレッシャーも感じたと思います。ただ、優勝争いをしていない中でも勝てないということは、どういうことなのかをもっと深く考えてほしいなという思いを込めて伝えました」

(後編へ続く)

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