1975年、球団創立26年目にして悲願の初優勝を成し遂げたカープ。その歴史的なシーズンに、先発ローテーションの一角を担ったのが池谷公二郎氏だった。カープ一筋で現役生活を送り、引退後は指導者や解説者として長年にわたりチームを見守ってきた。多くのファンに親しまれた池谷氏が、2026年10月29日に亡くなったことが発表された。71歳だった。

 ここでは、池谷氏がかつて語ったカープ初優勝の舞台裏を再編集してお届けする。ルーツ監督のチーム革命から始まった激動のシーズン、チームの中心として駆け抜けた池谷氏が感じた重圧と歓喜の瞬間とは。

(『広島アスリートマガジン』2020年5月号掲載記事を再編集)

2025年11月に開催された、『カープ レジェンドゲーム2025』に登場した池谷公二郎氏
2025年11月に開催された、『カープ レジェンドゲーム2025』に登場した池谷公二郎氏

◆ルーツ監督のチーム改革は、選手の意識にも変化をもたらした

 3年連続最下位で迎えた1975年。

 チームの改革に乗り出した球団は、球界初となるメジャー出身者を新監督に抜擢した。再建を託されたジョー・ルーツ監督は大型トレードだけではなく、選手たちに闘争心を植え付けるため帽子の色を青から闘志を象徴する赤に変更。次々と新たな改革案を打ち出していった。中でも池谷氏が印象に残っているのが、遠征の方法が大幅に変更されたことだという。

「それまでの遠征は選手たちが荷物を運んでいて、特に夏場は体力的に厳しい面がありました。そこで荷物運搬専用トラックを取り入れてくれ、一軍選手が移動する際は新幹線のグリーン車に変えてくれました。あまり語られることがありませんが、そういう部分から改革してくれたのは選手にとっては大きなことでした。きっとルーツには『一軍選手は一流の扱いをしなければダメだ』という考えがあったのだと思います」

 わずか15試合で電撃退任したルーツだが、『可能性があれば失敗を恐れず挑戦せよ』という教えは、選手間に植え付けられた。野崎泰一ヘッドコーチが代行監督を4試合務め、その後、古葉竹識一軍コーチが監督に就任するころにはチーム状態も上向きに。通常なら鯉の季節が過ぎれば徐々に下降線を辿るのが常だったカープが、この年は粘りの戦いを見せて5月17日には単独首位に躍り出た。

「古葉さんは南海時代(現ソフトバンク)に野村克也監督の下でコーチを務めていた経験もあり、足を使った攻撃、右打ちなどのケース打撃を確立するなど、機動力野球、いわゆる古葉野球を推進されていったように思います」

◆選手たちを襲った初優勝の重圧

 山本浩二を軸に強力打線を形成し、投手陣も外木場義郎、佐伯和司、池谷が先発3本柱として大車輪の活躍を見せた。前半戦を終えた時点で、首位・阪神とはわずか1.5ゲーム差。オールスターゲームで山本と衣笠祥雄が2打席連続アベックアーチを放つと、初優勝を期待するファンの間で『赤ヘル旋風』が吹き荒れた。後半戦に入ってもカープの勢いは衰えず、夢のまた夢と思われていた優勝が現実味を帯びてきた。さすがに、この頃になると重圧を感じる選手たちも現れ始めていたという。

「初優勝の重圧もあり、寝られない選手も多くいました。そういう状況が続いたある日、大下剛史さんや(山本)浩二さんら主力が音頭をとり『みんなで飲みに行こう』と決起集会を開いたことがありました。『飲んで寝た方が次の日のためにはいいだろう』ということだったのでしょう。もう一つ印象に残っているのが、敵地で負けた帰りのバスの中での出来事です。誰が言ったか『一曲歌え!』という声があり、そこで音痴なスタッフが大声で歌うことで、雰囲気が明るくなるということもありました。シーズン終盤はチーム全体でなんとか気持ちを盛り上げ、『優勝まで踏ん張ろう』という雰囲気をみんなでつくろうとしていました」

◆そして迎えた歓喜の瞬間・・・黄金期の始まり

 ペナントレースは最終的にカープと中日の一騎打ちの様相を呈し、勝負は終盤戦までもつれ込んだ。そんな状況下でカープは9月を13勝3敗4分というハイペースで乗り切り、優勝に向けての土台を強固なものとした。

 そして迎えた10月15日。

 後楽園球場での巨人戦に勝利したカープが、球団創立26年目にして悲願のリーグ初優勝を成し遂げた。

「私はベンチから試合を見守っていました。あの日の後楽園球場はカープファンで埋まり、当時はしゃもじを持って大声援を送ってくれていました。試合は1対0のまま進み、9回に飛び出したホプキンスの3ランで決まったというムードになりました。そして最終回、金城基泰が柴田勲さんを打ち取り優勝が決まりました。直後、みんなで胴上げ……のはずでしたが、ファンのみなさんがグラウンドになだれ込んできて、現場はパニック状態(苦笑)。それも今となっては良い思い出です」

 万年Bクラスと揶揄された球団が見せた、奇跡とも言える初優勝。

 負け癖を払拭した選手たちは、後に古葉監督、阿南準郎監督、山本浩二監督のもとで昭和後期から平成初期にかけての黄金期を築き上げていった。

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