2025年ドラフト4位で北の大地からカープに入団した工藤泰己。 希望に満ち溢れたプロの世界で、最初に訪れたのは“ケガ”という試練だった。しかし、工藤自身は常に冷静だ。学生時代の恩師から受けた教えを支えに、未来を見据えるルーキーの原点に迫った。(全3回/第1回)
◆いまに活きる、恩師の言葉
―まずはじめに、工藤投手が野球を始めたきっかけを教えてください。
「小学校3年くらいだったと思います。元々サッカーをやっていたのですが、友だちに誘われて練習に行ったのがきっかけでした」
―子どもの頃はどんな少年でしたか?
「すごく活発だったと思います。放課後はみんなとランドセルを背負ったまま公園に行っていましたね(笑)。性格は……すごく負けず嫌いだったと思います」
―高校は北海高に進学されました。
「父が北海高のOBだったんです。僕自身は特にこだわりはなかったのですが、父から『大学進学にも有利』という話をされて。将来のことも考えて北海高に進みました」
―高校時代の出来事で、今につながっている教えなどはありますか?
「『一喜一憂しない』ということですね。野球部監督の平川(敦)先生から3年間ずっと言われていた言葉です。当時は高校野球なので一つひとつの結果に一喜一憂することもありましたが、プロに入ってシーズンを通して野球をやるようになると、その言葉がすごく活きていると感じます。できるだけ感情の波を小さくするという意味で今につながっていると思います」
―その平川先生は、ドラフト同期入団の平川蓮選手のお父さまなんですよね。
「そうなんです。本当に不思議なご縁だと思います。カープに入団すると分かったときは不思議な感じでした。ドラフト指名の翌日に平川先生へ挨拶に行ったのですが、そのときはまだ『学校の先生と生徒』という関係でしたが、入団会見で会った時はまた違う感じがしましたね(笑)」
―高校卒業後は北海学園大へ進学されました。
「道外も考えていましたが、この4年間でプロを目指すなら寮生活よりも自宅から通って、家族にサポートしてもらった方が野球に集中できるんじゃないかと思い決めました」
―ご家族の支えも大きかったですか?
「間違いなく大きかったですね。母には食事面でずっと支えてもらいましたし、父には移動が長い時などに送迎してもらうこともありました。北海道は広いのでそういう部分でもすごく助けてもらいましたね」
―4年時には大学日本代表の選考合宿にも参加されましたが、そこで得たものなどはありましたか?
「地方リーグと、東京六大学や東都の選手の違いは何かというのはずっと気になっていたので、それを確かめるつもりで参加しました。実際全然違いましたね。常に注目されるなかでプレーしているので、知らない選手が集まっていてもオーラというか、雰囲気があるなと感じました」
(第2回へ続く)
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