2009年8月10日、メキシコのアレナ・プエブラという会場での一枚。日本では未使用の白いコスチュームを着用して試合をした唯一の一戦だ。

◆今だから言えますけど練習をサボることもありました(笑)

 でも、そんな言い訳をできるわけもなく、すぐに合宿所の外に連れて行かれて、バリカンで坊主にされました。そのときぐらいですよ、オレが新日本プロレスを辞めたいなって思ったのは(笑)。

 入門して30秒で真壁選手に怒鳴られて、辞めたいなって思ったのが、最初で最後です。ただ結果的に、入門したら誰かが髪を剃ってくれるっていうのも、間違った認識ではなかったってことですね(笑)。まあ、プロ野球の世界だと、ありえない話でしょうけど。

 でも、寮生活のときは楽しい思い出しかないですね。当時の新日本はいろいろと会社が揺れていた時期で余裕がなかったのかもしれないですけど、道場にコーチがいませんでした。

 合同練習と言って、選手でまとまって練習をするときは先輩選手も来ていましたけど、それ以外のときは基本的には若手だけで練習をしていたんです。要は見張り役がいなかったから、今だから言えますけど練習をサボることもありましたね(笑)。

 スクワットをやるときには「イチ! ニ!」って大声で回数を数えるんですけど、実際はスクワットをしないで、大声を出しながら座っていただけとか(笑)。あとは「ちょっとランニングに行ってきます!」と言って外に出て、公園のベンチで座って、みんなでしゃべったりとか。

 そんなにサボってて合同練習に付いていけたのかって思うでしょ? オレは体力には自信があったので、たとえ普段サボっていたとしても、大丈夫だったんですよ。いわゆるチャンコ番とかで怒られた記憶もないし、本当に皆様が期待するような新弟子時代の苦労話はないんですよ。すみません、優秀な新弟子だったもので(笑)。