カープは現在、9名のスカウトが逸材を発掘するために全国を奔走している。そのスカウト陣をまとめているのが、苑田聡彦スカウト統括部長だ。苑田スカウトはかつて勝負強い打撃でカープで選手として活躍し、初優勝にも貢献。引退直後の1978年から現在までスカウトとして長年活動を続け、黒田博樹を筆頭に数々の逸材獲得に尽力してきた。

 この連載では、書籍『惚れる力 カープ一筋50年。苑田スカウトの仕事術』(著者・坂上俊次)を再編集し、苑田聡彦氏のスカウトとしての眼力、哲学に迫っていく。

 今回は、斎藤・大石・福井、早稲田大の3投手に注目が集まった2010年ドラフト会議のエピソードをもとに、苑田スカウトの“才能を見抜く”思考法を紹介する。

2010年ドラフト1位でカープに入団した福井優也選手。1年目から先発として8勝を挙げると、2015年には自己最多の9勝を挙げる活躍をみせた。2019年からは楽天でプレーしている。

◆ 安定感か可能性か。究極の選択に挑む心構え

 『安定した仕事ぶり』は信頼に直結する。しかし、時折見せる『無限の可能性』にも夢がある。小さくまとまってしまっても困るが、振り幅が大きすぎるのもマネジメントが難しい。しかも、プロ野球に挑もうとする選手のスカウティングにおいては、非常に悩ましい選択になってくる。当然、球団やスカウトによって考え方は変わってくるだろう。

 2010年秋のドラフト会議は『早稲田一色』であった。高校時代に甲子園を沸かせたエースの斎藤佑樹は日本ハムへ、東京六大学リーグナンバーワンの快速球を誇った大石達也は西武へ、そして彼らとしのぎを削った福井優也はカープへ、それぞれ1位指名された。同一大学から3投手の1位指名はドラフト史上初の快挙であった。

 最も注目されたのは、MAX155キロのストッパー・大石で、6球団から1位指名を受けた。スター性とクレバーさが光る斎藤は4球団が1位指名だった。

 カープは大石を1位指名しながらも、抽選で交渉権を手にできず、いわゆる『外れ1位』で福井を指名したのであった。チームとしては抽選を外すという本意ではない結果になったものの、苑田はこの結果に内心笑みすら浮かべていたのではないだろうか。

 苑田は神宮球場で3人の投球をつぶさに視察してきた。その上で、それぞれの個性を冷静に分析していた。

「大石、斎藤より、福井のほうが良い投球をしていることがありました。福井の欠点は荒れ球でしたが、コースに決まったときは3人のなかでも一番良い球を投げていました。でも、それが続きません。言うならば、5球に1球のすごい球という感じでした」

 もちろん、大石のコンスタントな活躍を高く評価していたが、福井の粗削りな魅力にも惹かれていた。

「5球に1球のすごい球では、プロ野球でコンスタントに活躍はできません。でも、福井には、多少制球に難があっても、将来的に良くなっていくだろうと思わせる可能性を感じました。カープにきてしっかり走り込んだら、安定感は上がるだろうとも思っていました。投げ込んで要領を掴めば、安定してストライクが入ると思いました」

 苑田は選手の短所を探すよりも、長所を高く評価する。

 「特に投手に関しては、長所が大事です。1球でも150キロを投げられる人は、150キロを投げる力があると見ます。唸りたくなるような1球を見逃すわけにはいきません。福井には、スピードガンの表示以上に感じるものがありました」

 これは、投手の個性の話であり、福井、大石、斎藤の優劣を議論したわけではない。しかし苑田は、『福井の可能性』に賭けた。決め手は、カープという球団と福井のマッチングであったといえよう。

 福井には、野球人の誰もが嫉妬するほどのポテンシャルがある。カープには球界屈指の育成能力がある。ここにマッチングの妙がある。

 「他のチームのことは分かりませんが、うちは若い選手が育つチームです。先代の松田耕平オーナーが『選手は財産である』と言っていたことを覚えています。入団したら、全選手が最高に上手くなるように練習させて試合に出していく。これがカープです。だから、若手選手は伸びるし、コーチも勉強する。こういう循環があります」

 福井は1年目から先発として8勝をマークしたが、2年目以降は3シーズンで6勝と苦しんだ。しかし、未完の大器はこのまま下降線をたどるはずがなかった。5年目の2015年、自らの手で先発ローテーションの座を掴み取り、黒田・前田健太・ジョンソンと並び、先発4本柱を形成するまでになった。福井の抜群の潜在能力にカープの豊富な練習量と育成能力が見事にマッチした。なにより、自らの努力と研究、黒田らハイレベルな投手陣の存在も最高の刺激や教材になったことも見逃せない。

 苑田が見つめた才能は、カープという環境に出会ったことで、花が開きつつある。いつしか、福井に『安定感』という課題を唱える者は少なくなっていった。

 福井、大石、斎藤。これからもプロ野球界を盛り上げてくれる3人であろうが、現時点での実績では福井が一歩も二歩もリードしている。

 『安定感か可能性か』実に難しい選択であろう。時代背景や組織の事情によっても求められる要素は違ってくるはずである。

 苑田は、『5球に1球』の可能性を見逃さなかった。福井という『剣』の鋭さを評価したのも事実である。その一方で、彼に安定感を与えうる、カープという『砥石』にも苑田は絶大な信頼を置いていたのであった。

 選択に絶対的な答えはない。しかし、周辺の環境や事情を頭に入れていれば、英断を下すこともできるのだ。人材を見るときのポイントは『優劣』だけではない。その組織への『向き、不向き』ここも重要なポイントとなってくるのである。

●苑田聡彦 そのだ・としひこ
1945年2月23日生、福岡県出身。三池工高-広島(1964-1977)。三池工高時代には「中西太2世」の異名を持つ九州一の強打者として活躍し、64年にカープに入団。入団当初は外野手としてプレーしていたが、69年に内野手へのコンバートを経験。パンチ力ある打撃と堅実な守備を武器に75年の初優勝にも貢献。77年に現役引退すると、翌78年から東京在中のスカウトとして、球団史に名を残す数々の名選手を発掘してきた。現在もスカウト統括部長として、未来の赤ヘル戦士の発掘のため奔走している。