大学時代に頭角を現し、2002年のドラフト自由獲得枠で阪神に入団した江草仁貴(ひろたか)。2005年にはロングリリーフもできる中継ぎ左腕として、チームのリーグ優勝に貢献した。

 2012年からは地元球団のカープに移籍。紆余曲折を経て、そのキャリアを広島で終えた男の野球人生に迫る。

阪神、西武を経て、2012年に嶋重宣とのトレードでカープに移籍した江草仁貴氏。

 プロ野球の世界では通算349試合のマウンドに立ってきました。中継ぎが336試合、先発が13試合です。先発と中継ぎのどちらが合っていたかを考えると、今思えば、中継ぎの方が自分の性格やスタイルに合っていたような気がします。

 阪神時代の2006年は先発投手として大きなチャンスを与えてもらった年でした。開幕3戦目となるヤクルト戦では8回無失点。その後、カープ戦では黒田博樹さんと投げ合い敗戦投手にはなったものの完投することができました。

 毎週のように日曜日に投げることから『サンデー江草』なんて言ってもらったことも懐かしいですね。5月末までに5勝は挙げられたのですが、その後は勝ち星から遠ざかり、そして6月末には勝利の方程式の一角だった久保田智之が故障したこともあり、僕は再びリリーフに戻ることになりました。

 当時のことを振り返ると、神様が『中継ぎをやりなさい』というメッセージを送ってくれたような気がしています。毎日投げる喜びもあり、切り替えも得意な性格だったので、リリーフは自分に合っているのだと再確認できました。

 翌2007年は50試合、2008年は55試合、2009年は62試合、すべて中継ぎでの登板でした。この3年間は、毎日が充実していて、毎年あっという間に1年が過ぎていました。

 不思議なことに、この3年間は疲れをほとんど感じませんでした。何も余計なことを考えず、すべてのことに全力で取り組む日々を過ごしていました。短いイニングを、とにかく思い切り投げるだけでしたし、先発の時と比べると少し球速が上がっていたことも、結果を残すことができた要因だと思います。

◆一番の財産はそれぞれのチームでたくさんの人と出会えたこと

 当時の自分を奮い立たせていたのは、2005年に優勝した記憶です。初めて経験した優勝は、あまりにも素晴らしいもので『なんとかもう一度』という、その一心で投げ続けることができました。

 しかし2010年から、私は調子を落としてしまいます。登板は21試合に激減し、防御率は5点台まで跳ね上がってしまいました。当時はシーズン中に少しずつ球が走らなくなっていく感覚を覚えていました。「あれ? 球がいかないなぁ。あれ? 打たれたなぁ」。いつもと違う感覚であることは分かっていたのですが、そこから抜け出せず悪循環に陥ってしまいました。

 打たれ始めた一番の要因は、フォークが決まらなくなってしまったことです。指を上手く使うことができず、決め球として機能しなくなり、以前のように三振を奪うことができなくなってしまいました。

 そして2012年5月、31歳の時に西武へのトレードが告げられたのです。トレードについてあまり意識したことはありませんでしたし、まさか自分がトレードで移籍するなど思いもしませんでした。

 しかも、移籍を告げられて翌日には埼玉に向かうスケジュール感には驚かされました。それまでセ・リーグでやってきて、二軍もウエスタン・リーグでしたから、最初は選手の顔と名前を覚えることに必死でした。

 ただ、これはとても大きな経験だったと思います。この後、移籍することになるカープも含めて、現役時代には3球団でプレーさせていただきました。一番の財産はそれぞれのチームでたくさんの人と出会えたことです。

◆引退してからも気になる、仲間たちの戦いぶり

 西武で過ごしたのは1シーズンのみですが、通算182勝を挙げた西口文也さん(現一軍投手コーチ)の存在は大きかったです。西口さんは最多勝2回、最多奪三振2回、そして沢村賞にも輝いた日本球界を代表する投手です。そしてとても切り替えの上手な方でした。一生懸命やることは大前提なのですが、そこにプラスして、抜くところは抜くのです。

 誤解を招きそうな表現になってしまいましたが、もちろん良い意味で力加減をコントロールするという意味です。僕も30代に突入して、一生懸命さだけでは現状を打開できないということも感じ始めていました。西口さんのグラウンド内外の姿を見させてもらうことで、ガムシャラに取り組むことから、さらにプラスαを加えることの大切さを学びました。

 そして翌2012年、トレードでカープに移籍となりました。この移籍もまったく想像していませんでしたが、出身地の広島ということで、うれしい気持ちがあったことは事実です。故郷でしたし、子どもの頃からカープファンでしたから。

 どんな少年だったかって? そりゃ、今の監督である佐々岡真司さんの下敷きを使っていたぐらいのカープファンでしたよ。小学生の頃には、野村謙二郎さんにサインをもらった思い出もあります。

 カープで過ごした6シーズンは阪神時代のようにフル回転できませんでしたし、故障もしてしまいました。しかしカープでも良い出会いに恵まれましたし、クライマックス・シリーズに登板することもできました。あの6年間で人間としても成長できたと思います。

 引退してからも、やはり仲間たちの戦いぶりは気になりますね。自主トレを共にした塹江敦哉投手の活躍はもちろんうれしいですし、中﨑翔太投手の復活も気になります。カープの話を始めると止まりませんが、そのあたりは次回でお伝えできればと思います。(Vol.4に続く)

【江草仁貴/えぐさひろたか】
1980年9月3日生、広島県福山市出身。2002年ドラフト自由枠で阪神に入団。2005年に頭角を現し、中継ぎとして51試合に登板。リーグ優勝に貢献する。2011年シーズン途中に西武に、2012年開幕前に地元・カープに移籍(共にトレード)。カープでは6年間を過ごし2017年限りで現役引退。その後大阪電大の野球部コーチを務めるなど、精力的に活動している。通算成績は349試合 442.1回 22勝17敗48ホールド 防御率3.15。