◆1番打者として結果を残すも、2年連続で戦線離脱

 大不振の末、負傷による離脱で2013年シーズンを終えた堂林。2014年は、この悔しさを晴らす一年にするべく、思い切ってオフの調整法を変えた。例年のオフは筋力強化を中心に取り組んでいたが、このオフは打撃中心に行うなど、これまでとは異なるアプローチで春季キャンプに臨んだ。

「オフにこれだけ振り込んだのは初めてですね。肉体的な変化はそれほどありませんが、東出さんから『技術さえ掴めば試合に出られる』と言われた言葉が自分の中で大きかったです。東出さんも打力が上がったときには外野でも試合に出場されていましたよね。とにかく今オフは技術を掴もうと思いました。何か新しいことを取り入れるというよりも、継続です。12月は打撃練習をほぼ毎日やってきましたし、東出さんと一緒にやらせてもらっていろいろ気づかされたことも多かったです。昨年よりも手応えはあります」

 2013年後半戦は、怪我をした堂林に代わり、定位置だったサードに木村昇吾が定着。堂林自身も、他の選手同様、複数ポジションを守れるように、春季キャンプでは外野やファーストの守備にも取り組んだ。

「こんなことを言うと誤解されてしまうかもしれませんが、競争というのにあまりこだわり過ぎずに、自分の全てを出せれば勝ち取れるものだと思っています。今やっていることがうまくいくかは分かりませんが、手応えはあります。これが自信なのか何なのか分からないんですけど、これだけやってきたので信じるしかないですよね」

 迎えたプロ5年目、2014年シーズン。中日との開幕戦(ナゴヤドーム)は、「7番・サード」でスタメン出場。しかし、4打数無安打3三振と結果を残すことができず、翌日以降は、レギュラーとしてではなく、相手投手に合わせての出場が増えてくる。4月中旬から、持ち味である積極的なバッティングを活かし「1番」に抜擢され結果を残すが、5月8日のヤクルト戦(神宮)で右手薬指を骨折。戦線離脱を余儀なくされた。

「調子が良かっただけに、ああいう形で一軍を離れることは悔しかったですね。骨折せずにあのまま試合に出続けることができていたら、調子が良かったかどうかは分かりませんが・・ずっと試合に出ていたかった思いが強かったですね」

 リハビリを経て、6月28日に一軍復帰。しかし故障前のように、打撃で結果を残すことができなかった。

「正直、故障の影響は少なからずあったと思いますし、だましだましやっていました。でも試合に出ているからにはそれを理由にすることはできませんし、何とかいい方向にいけばという思いだけでプレーしていました。2013年の骨折は復帰した後も痛みは残らなかったのですが、2014年の骨折は、指で繊細な部分だっただけに難しい部分はありました」

  2014年シーズンは93試合に出場し、打率.246・8本塁打・28打点。ブレイクを果たした2012年の成績を上回ることができず、守備でも、サードのスタメンよりもライトとしての出場が増え、定位置奪取とはならなかった。チームは2年連続でクライマックスシリーズに出場するも、堂林は、チームの成績とは相反し、2年連続で結果を残すことができなかった。

「『悔しい』の一言ですね。試合に出られない時期もありましたし、いろいろな経験ができたシーズンだったと思います。また、プロに入ってずっとサードを守ってきただけに、自分としては『もう一度サードで』という気持ちが強いですね」

 2014年限りで野村謙二郎監督が退任。ブレイクのきっかけとなった指揮官の下で、4年目、5年目と結果を残すことができず、悔しい形で恩師との別れとなった。
(#4に続く)