◆カープ所属の外国人選手で初の40本塁打

 背番号『5』の歴史には、外国人助っ人もたびたび登場している。特に1975年から1982年は4人の外国人選手が続いていた。その中で1977年から3年間在籍したのがギャレットだ。

 1978年にはカープの助っ人として初めて40本塁打をマーク。同年のオールスターゲームでは地元・広島開催で3本塁打を放つ破格の活躍も見せた。また外野手や一塁手だけではなく捕手としての出場もあるという、ユーティリティーな一面もあった。

 1992年のルーキーイヤーから2004年まで13年間にわたって『5』を背負い、前述の藤井以来の“長期政権”を築いたのが町田康嗣郎(1999年に公二郞から改名)だ。ドラフト1位で入団し期待も大きかったが、今ひとつ波に乗れず2004年限りで阪神に移籍するまでフル出場はならなかったものの、代打ではたびたび勝負強さを発揮した。

 その後1年の空白期間を経て、2006年には栗原健太が『50』から一気に若返りを見せた。2000年ドラフト3位で入団した栗原は徐々に頭角を現し、新井貴浩がFA移籍で抜けた2008年には開幕から全144試合で4番を務めた。

 2009年にはWBCの日本代表に招集され、練習に取り組む姿勢を原辰徳代表監督から高く評価されたことも。旧広島市民球場のラスト本塁打、マツダスタジアムの初本塁打をともに放つという記録も持っている。

 現役後半は右肘痛など故障に悩まされ、2015年限りでカープを退団。2016年は楽天でプレーしたが、同年限りで引退。現在は中日の一軍打撃コーチを務めている。