9回の土壇場で阪神の反撃にあい、4対3の1点差まで迫られたカープ。だが江夏豊がピンチの芽を摘み取り、地元での胴上げを実現させた。

◆球団創立以来、初の地元での胴上げ

 1分を挟んでの9連勝で9月9日にマジック19を点灯させると、その後も順調に勝ち星を重ねていった。試合を重ねるごとに2位とのゲーム差を膨らませ、9月23日にはマジックが一桁台に突入。完全に息を吹き返したカープを止められるチームは、もはや存在しなかった。

 そして迎えた10月6日。ホームで阪神を迎え撃つ一戦には、初の地元優勝を見届けようと旧広島市民球場に超満員の観衆が押し寄せた。異様な熱気が場内を包み込むなか、選手たちは浮足立つことなく持ち味を発揮した。

 先制こそ許したものの、7回に衣笠のスクイズで勝ち越すと、その後は池谷公二郎、江夏豊のリレーで逃げ切りに成功。4年ぶり二度目のリーグ制覇、そして球団創立以来、初となる地元での胴上げにファンもカープナインも酔いしれた。

 ただカープには、まだ宿題が残されていた。初のリーグ優勝を果たした75年は、阪急と日本シリーズを戦い4敗2分と完敗。悲願の日本一を成し遂げるためにも、ここで立ち止まることは許されなかった。

 この年の近鉄とのシリーズも一筋縄ではいかなかった。初戦、第2戦で連敗。地元に戻り3連勝で一気に王手をかけるも、再び敵地で敗れ勝負は第7戦まで持ち越しとなった。運命の第7戦も接戦となり、ゲームセットの瞬間までどちらに勝負が転がってもおかしくない展開となった。

 9回裏を迎えた時点で、カープが1点リード。だが安打にエラーなどが絡み、無死満塁の大ピンチを招いてしまった。ところが、ここから球史に残る『江夏の21球』が繰り広げられ1点差を死守。カープが球団創立30年目にして、初の日本一を勝ち取ってみせた。数年前までセ・リーグのお荷物とまで称されたチームとは思えない快進撃。ここからカープは第一次黄金期を築いていった。