その偉大な記録が打ち立てられたのは、2013年4月26日。これまで破られることのなかった14打席連続出塁の日本記録は、廣瀬 純によって15へと塗り替えられた。現役を引退しコーチとなった今、日本記録を持つ男は、若手たちに新たな記録への挑戦を期待している。

15打席連続出塁の日本記録を達成した打席。ただチームのためにつなぐことに徹した廣瀬純。

◆自分の記録よりも、チームのことが優先だった

─15打席連続出塁は2013年に達成した記録で10年前のことになります。以来、その記録が破られず、自身の名前が残っているのはどんな気持ちですか?

 「打撃で大した成績を残せていない選手でしたので、当時はとにかく必死でやっていた中での記録でした。2022年に村上選手(宗隆・ヤクルト)が、その記録に並ぶかもというタイミングがありましたが、それを見ていても『多分、抜かされるだろうな』くらいの、軽い気持ちでしか、僕は見ていませんでした」

─昨年の8月でしたね。村上選手が、その記録に迫ったとき、廣瀬コーチのお名前も、しきりにメディアで聞かれました。どんな気持ちで聞かれていましたか?

 「野球をやっていて良かったなというくらいですね。記録は塗り替えられるものなので、記録を達成した側から言うと、その記録を破るために頑張ってほしいなという思いです。16打席連続出塁を更新すれば世界記録ですよね。だから15、16と続けて、日本記録ではなく、世界記録を狙ってほしいです。僕は記録が途切れたときに、あともう少しで世界記録だと知ったので、もし先に知っていれば『いや、狙おう!』という気持ちになったかもしれません。でも当時はそういう気持ちは全くなく、チームが勝つことしか考えていない状態でした。だから、もしそういうチャンスをつかんだ選手には、日本記録ではなく、世界記録を狙ってほしいという思いがあります」

─狙って達成できる記録ではないと思ますが、この記録の価値はどういうものだと考えられていますか?

 「たしかに今考えればすごい記録ですね。でも15打席の中には死球も四球もありますし、全部ヒットで出塁したわけではないんです。2013年当時は、チームがAクラスに入れるかどうかの戦力でした。助っ人外国人のキラも、四番を打っていた栗原(健太)も故障でいなくて打線が弱く、消去法で僕が四番を任されているというチーム状態でした。だから僕は、自分が打線の潤滑油になれば良いなという、つなぎに徹することしか考えていませんでした」

─そんなつなぐ四番の出塁が続き始めて、ベンチやチームメートは、どういう雰囲気になっていきましたか?

 「『おいおい、また出たよ』という感じは伝わってきました。出塁を続ける、ヒットを打ち続けることで打率もどんどん上がりますよね。それで気がついたら、あと4打席で日本記録だというところまできていました。時期が4月と言うこともあり、打率に対する意識はありませんでしたけど、周囲の『また出てる、また出た』という雰囲気はのは感じました」

廣瀬 純●ひろせじゅん
1979年生、大分県出身。佐伯鶴城高-法政大-広島(2000年ドラフト2巡目)。大学時は、東京六大学リーグにおいて3年春に三冠王に輝くなど、強肩強打の外野手として注目を集めた。自身の逆指名もあり、2001年にカープへ入団すると、同年3月には一軍デビュー。強肩を活かした外野守備で多くの捕殺を記録し、チームのピンチを救いファンを湧かせた。2013年に記録した15打席連続出塁は、今でも破られることのない偉大な記録。2016年に現役を引退し、2017年オフにカープのコーチに就任。現在は二軍外野守備・走塁コーチとして若手の育成に務めている。

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