高校卒業後、川口は社会人のデュプロ(硬式野球部は2008年に解散)へと進み、その翌年、私はスカウトを辞め二軍監督に就任しました。そのため、社会人で川口がどのような活躍をしたのかはよく知りません。

 川口がデュプロを­経てカープに入団したのは、1981年でした。当時も私は二軍監督として現場に残っていたため、高校のときとは違う形で川口と再会することになりました。

 「社会人の3年間でどれくらい成長したのだろうか」。そんな気持ちを持って彼の投球を久しぶりに見たのを覚えています。球は高校時代よりもさらに速くなり、キレも増し力強くなっていました。しかし、コントロールはというと……少しはまとまるようになっていましたが、まだまだといった感じでしたね。

 二軍時代の川口との思い出は、ある試合での初回、彼はストライクを取ることができず、3者連続四球。満塁となったあとも2人続けて押し出し四球を与えたのです。その投球にカッとしてしまった私はマウンドへ行き、「いつになったらストライクが入るんや? 今日はもう交代する。明日の試合でもう一度先発させるからな」と言ってマウンドから下ろしたこともありました。

 こういったこともありながら、川口は1年間ファームで、体作りと共に、持ち味であるボールの球威を殺さずにコントロールをつけるトレーニングに励みました。そしてプロ2年目の7月に一軍に上がり、“四球を与えるが三振で切り抜ける”川口らしい投球でプロ初勝利をマーク。この年、一軍で4勝を手にしました。

 北別府学や大野豊のように完成されたピッチャーではありませんでした。しかし、荒削りながらも打者からいくつもの三振を奪う投球は、今も私の心に残っています。

 =第7話に続く=

【備前喜夫】
1933年10月9日生〜2015年9月7日。
広島県出身。
旧姓は太田垣。尾道西高から1952年にカープ入団。長谷川良平と投手陣の両輪として活躍。チーム創設期を支え現役時代は通算115勝を挙げた。1962年に現役引退後、カープのコーチ、二軍監督としてチームに貢献。スカウトとしては25年間活動し、1987〜2002年はチーフスカウトを務めた。野村謙二郎、前田智徳、佐々岡真司、金本知憲、黒田博樹などのレジェンドたちの獲得にチーフスカウトとして関わった。

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