俊足巧打の外野手として期待され、育成ドラフト1位でカープに入団した名原典彦。北東北大学リーグで2度のベストナインに輝いた、持ち味の走力をプロの世界でも存分に発揮したい。地元・広島の期待を一身に背負って、真っ黒に日焼けしながら成長の日々を送る。

 

プロの世界は、なにもかもが新しいことだらけ

——入団されて半年が経ちましたが、どんな毎日を過ごされていますか?

 「本当に毎日、新鮮なことばかり起こっています。これまで全く知らなかった野球の技術的なことや考え方など、半年間ずっと新しい学びがある日々です」

——そんなに驚きや発見があるなら、毎日楽しくて仕方ないですか?

 「野球だけでなく、何か新しいことを始めた時は、なんでも新鮮に感じられて楽しいと思いますよね。ちょうど今がそんな感じです。これまで野球を続けてきて、今が一番楽しいと思える時間を過ごさせてもらっています」

——たくさんの方に、いろいろなアドバイスをもらっていると思います。特にどのコーチに声をかけてもらっていますか?

 「廣瀬(純)コーチです。打つことはもちろんですが、選手としての心構えや自分に与えられた役割、今するべきことなどたくさんのことを教えていただいています」

——そんな名原選手は、地元・広島の瀬戸内高から青森大へ進まれましたが、野球を始めたきっかけを覚えていますか?

 「小学校低学年のときに三つ歳上の姉が、足で蹴るフットベースボールをやっていたんです。それを見て僕もやりたいなと思ったのがきっかけです。それから小学校3年生の冬くらいに、子ども会でソフトボールをやっていたのを見て、まともにキャッチボールもしたことないのに『今日からソフトボールをやります』と言って、勝手にチームに入ってしまいました」

——それまでキャッチボールをした経験もあまりなかったのですね。

 「そうです。そこで初めてキャッチボールを教わったというか。それから中学校の軟式野球部、瀬戸内高の硬式野球部で野球を続け、大学に入っても野球部でした」

——では、本格的に硬式野球を始めたのは、高校に入ってからということですね。

 「ソフトボールから軟式へ、軟式から硬式へ。高校野球から大学野球それぞれに、学ぶことがたくさんありましたし、驚かされたことも多かったです」

——たしかに、ソフトボールには野球ほど変化球はありませんし、瀬戸内高は広島の強豪校ですね。

 「ソフトボールと軟式野球を比べると、走る距離も長くなりますし、球も小さい。違和感ばかり感じていました。軟式野球から、高校で硬式野球に変わった時にもやはり、違和感を感じました。チームメイトは全国から集まった選手がたくさんいましたし、その人たちは中学からずっと硬式で野球をやっていたので、入った当初はレベルも全く違いました」

——そんな中で野球を続けていこうと思われた理由はあるんですか。

 「先ほども言ったように、それぞれに新しい発見や驚きがあって、楽しくて仕方なかったからですね。自分が知らなかったことが毎日起こり、自分ができることが増える喜びが一番大きかったです」

——大学へ進学されてからも、きっとその発見や喜びが続いたんでしょうね。それから、カープから指名を受けました。

 「正直に言わせていただくと、うれしさもありましたし、育成指名というのに対して悔しさもありました。ただ、僕の能力を見定めていただき、期待していただいたことには変わりはありませんので、その期待にしっかりと応えたいと思っています。もちろん、入団をお断りするという選択肢は全くありませんでした」

——自分がプロになったことを一番感じたのはどんな場面でしたか?

 「指名をいただいた時から、プロに入れるんだという気持ちはずっとありましたが、実感を持てたのは、やはり入団会見の時です、カープのユニホームを着て同期と一緒に写真を撮ってもらうと『今日からカープの一員になれたんだ』という、すごくうれしい気持ちが溢れてきました」

——周りからの反応はいかがでしたか?

 「たくさんの方から、おめでとうと言っていただけました。でも『育成なんだから、これからが本番だ。ここで舞い上がるなよ』という、ありがたい言葉もいただきました」

——プロは入ってからが本番だという言葉もありますよね。そんな名原選手を、カープはどこが魅力的に感じて指名したんだと思いますか?

 「僕の売りは、特に走ることです。実は高校時代は50メートル走が7秒3くらいかかっていたんです。それが大学に入って走るトレーニングを中心にしたところ、5秒9くらいまで速く走れるようになれたのです。速く走るための足の運び方、体の使い方など教えていただき、ここでも新しい発見や驚きがあって、結果として速く走れるようになりました。ですから、早く走れるということがカープ入団のきっかけの一つになったのではないかと思っています」

——名原選手は広島出身ですから、小さなころから、カープが戦う姿を身近で見られていたのですか?

 「地元ですから、高校時代にもカープの試合を見に行っていました。上から球場全体を見渡せる内野自由席から、観戦していたことを覚えています。実際に見ていた球団に入れるということは、それはもう、うれしかったですが、今はそれよりも毎日の野球が楽しくて仕方がない時間を過ごさせてもらっています」

◆名原典彦 121
■なばら・のりひこ ■2000年6月24日生(23歳)■182cm/82kg 
■右投右打/外野手 ■広島県出身 ■瀬戸内高-青森大−広島(2022年育成ドラフト1位)