1975年の初優勝以来、カープ黄金期を築いたレジェンドOBたち。往年の名選手がカープへの熱い思いを語った『広島アスリートマガジン』連載記事を再掲載する。

 師と仰ぐ江夏豊のトレードにより、抑えに抜擢された大野豊氏。さらにはロングリリーフ、1983年には先発と複数のポジションで腕を振り、カープのため奮闘した。複数タイトルを獲得し、名実ともにエースとなった大野氏だが、やがて自身のピッチングにある“変化”を感じるようになる。

(『広島アスリートマガジン』2005年1月号掲載記事を再編集)(全10回/第7回)

カープ一筋の現役時代、148勝をあげた大野豊氏

◆「先発って何ていいものなんだろう」

 1981年から3年間抑えを務めたが、全て100イニング以上投げており、抑えだけでなくロングリリーフも、さらに1983年には先発もした。その中でも7月2日、後楽園球場での好投が、私に先発という新境地を開いてくれた。抑え役として信頼を得られない私に対して、古葉竹識監督が自らの首をかけた荒療治だった。

 この日私は、6回まで巨人打線を何とノーヒットに抑えたのである。

 7回裏2アウトから原辰徳にレフトオーバーに打たれノーヒットノーランの夢は消えたが、この二塁打と内野安打だけで5年ぶりとなるプロ2度目の完封勝利を飾った。勝つことで、弱気になりがちだった自分に自信が甦ったのが何よりの良薬だった。

 そして翌1984年のオフ、私は8年目にして初めて先発としてシーズンを迎えた。その年最初の登板となった神宮でのヤクルト戦で8−0と完封すると、6月23日の巨人戦まで開幕9連勝。その間8完投でうち完封が2つある。

「先発って何ていいものなんだろう。中4〜5日で投げられて、しかもどんどん勝てる。年間なら15勝は堅い」と、私は正直思った。

 しかし6月29日のヤクルト戦で連勝がストップすると、何と4連敗と全く勝てなくなった。後半戦は1勝だけで、最終成績は10勝5敗、防御率2.94。中日と優勝を争った終盤戦ではリリーフで2セーブを挙げるなど、1年間先発ローテを守ったとは言えなかった。