1975年の初優勝以来、カープ黄金期を築いたレジェンドOBたち。往年の名選手がカープへの熱い思いを語った『広島アスリートマガジン』連載記事を再掲載する。

 カープ黄金期に左腕エースとして活躍した川口和久氏。高校卒業後は社会人野球の道へと進んだが、いつかはプロへという思いは消えることはなかった。営業として仕事をする傍ら、練習場を借りて練習する日々。やがて若き川口氏は、「本当にプロになれるのか」と不安を抱くようになる。

(『広島アスリートマガジン』2005年4月号掲載記事を再編集)(全8回/第2回)

2025年11月に開催された『カープレジェンドゲーム2025』で登板した川口氏

◆「じゃあ、営業をやります」。高校卒業後は社会人野球の世界へ

 高校3年生の時、1977年ドラフト会議で、私はロッテに6位で指名された。カープからも備前喜夫さん、あるいは巨人も含め全部で11球団のスカウトが観に来ていたが、自分では「まだまだだな」と思った。

 一番不安だったのは体力。そしてもう一つは自信だった。

 それでこの先をどうするか、家族や野球部の監督、友人に相談した。特に毎日のように「一体どうするんだ」と尋ねてきていた父に、私は「社会人野球に行こうと思っている」と打ち明けた。長兄は大学に進んだが、学費や仕送りなど、経済面で大変そうに見えた。だからこれ以上、父や母に負担は掛けたくないと大学進学は最初から考えなかった。

 それで監督の先輩が野球部の監督をしている、デュプロという大阪にあるコピーや輪転機などの事務機メーカーに入社した。 私はこの会社では、背広を着てネクタイを締め、営業マンとして仕事をすることになった。

 とはいっても全て新規開拓。社長は私にはっきりとこう言った。

「いいか、お前は3年間はプロに行けないんだから、その間はウチでしっかり度胸をつけて、そしてプロ野球に行け」

 その言葉を聞いて私は「じゃあ営業をやります」と返事をした。