◆最初の印象は “がんぼうったれ”
最初に会った時の印象は、広島弁で言う “がんぼうったれ”(強情な、頑固者)という感じでした。
しかし決して無愛想や礼儀知らずというのではなく、むしろ礼儀良く挨拶もしっかりしていました。今でもたまに会うと「こんにちは!!」と元気良く直立不動で挨拶してきますよ、照れくさいくらい(笑)。私から見て、本当に性格の良い子だと思います。
ただ正直な故に、思った事をストレートに口にする事がコーチなどに誤解されてしまい、印象を悪くしてしまった部分があったかも知れません。たとえて言えば「右向け右」と言われても「どうして右なんですか?なぜ左じゃダメなんですか?」と正直に言い返してしまうタイプですね。喜怒哀楽がはっきりしていて人間的に憎めない彼のような性格の選手は、カープには珍しいようです。ただこういうタイプの選手が増えてくれば、チームももっと活気が出てくるんじゃないかという気もしないではありません。
入団契約は学校であったのですが、契約を終え部屋から出てきた長谷川に、待ちかまえていた女子生徒の1人が「おめでとうございます」と手作りのお菓子を入団祝いに渡していました。「あの子は君の彼女か?」と私が聞くと、「いいえ、彼女はいません」と本人は答えました。ただどうやらファンが校内や他校にもかなりいたようで、銚子ではライバル澤井と人気でも二分していたようです。
長谷川は、プロ2年目の1997年8月10日に一軍初登板で初勝利。4年後の2001年に9勝、翌2002年にはチーム最多の13勝をマークし、先発ローテーションの一角を占めるようになりました。
しかし私から見れば「出てくるのが遅すぎる」という感じです。あの素材ならもっと早く出てきて当たり前、とずっとそう思っていました。
9勝を挙げて頭角を現したのは6年目ですから、24歳の時。20歳で初勝利を挙げましたがその年は1勝限りで、翌年からは0勝、1勝、0勝。この期間がとてももったいなかったと私は感じています。
【備前喜夫】
1933年10月9日生〜2015年9月7日
広島県出身
旧姓は太田垣。尾道西高から1952年にカープ入団。長谷川良平と投手陣の両輪として活躍。チーム創設期を支え現役時代は通算115勝を挙げた。1962年に現役引退後、カープのコーチ、二軍監督としてチームに貢献。スカウトとしては25年間活動し、1987〜2002年はチーフスカウトを務めた。野村謙二郎、前田智徳、佐々岡真司、金本知憲、黒田博樹などのレジェンドたちの獲得にチーフスカウトとして関わった。
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