今やカープの主力となった選手たちは、ルーキーイヤーにどのような青写真を描いてプロの世界に飛び込んできたのだろうか? 今回は、カープの4番、日本の4番に成長した鈴木誠也が、ルーキー時代に独占インタビューで語った言葉と共に、当時の状況や思いを振り返っていく。

野手として評価されプロの世界に入った鈴木誠也選手。高卒選手ながらプロ1年目から一軍の試合に出場し存在感を示した。

◆プロにいたんだという記録を残せる選手になりたい

 2013年シーズン、二松学舎大付高からドラフト2位で入団した鈴木誠也。甲子園出場経験はないが、高い身体能力が評価され、かつて前田智徳も背負った背番号「51」が与えられ、球団の期待も高かった。そして春季キャンプ2日目には、半日ながら、一軍の練習にも加わった。

「一軍は緊張感が全く違うなと思いました。練習に参加させていただいて、また一軍で練習したいと強く思いました」

 今ではライトの名手として評価されている鈴木だが、プロ1年目の時点では、ショートとして練習を続けていた。守備について、当時こう語っている。

「(ショートは)自分の中でカッコイイという思いがありますし、やりがいはあります。でも本格的に始めると難しいですね(苦笑)。ゼロの状態からなので、いろいろな判断が要求されますし頭も疲れますね」

 野球を始めた当初も、父親が好きだったからとショートを守り、小学生時代はずっとショート。高学年になってピッチャーを任されたという。

「ショートを守っていたので好きな選手は二岡智宏選手(元巨人)でした。逆方向にホームランを打つところも好きでしたし、父親には『あんな選手になれ』と言われていたのも好きだった理由ですね」

 中学校時代はファーストとピッチャーで4番を打ち、高校入学後の1年秋からは、本格的に投手として練習を重ねた。

「当初は怖いもの知らずで『投げてもバットに当てられる気がしない』という気持ちでしたね。常に自分がエースだという気持ちを持っていましたし『俺が投げて勝つんだ』と思っていました」。

 高校通算43本塁打を放ち、プロではスラッガーとして活躍しているが、プロ入り前は、打撃は“投手のおまけ”という感覚で楽しんでやっていたという。しかし、カープのスカウトが評価したのは“野手”としての鈴木誠也。この時、投手への想いは断ち切った。

「夏の大会が終わってから『プロでは野手で勝負する』と思って練習をしていたので、迷いはありませんでした。何でもいいので『プロにいたんだ』という記録を残せる選手になりたいです。一番の大きな目標は野村謙二郎監督も達成された『トリプルスリー』です。また、長い年数プロとしてプレーしていきたいですね」

 鈴木はプロ1年目の終盤に一軍に昇格。1999年の東出輝裕以来となる、高卒新人野手の一軍昇格を果たした逸材は、常に現状に満足することなく鍛錬を重ね、2年目以降は外野手としてチャンスを伺い、徐々に一軍での出場機会を増やしていった。そしてプロ4年目の2016年に大ブレイクを果たすと、誰もが認める「4番打者」へと成長。今や日本を代表するスラッガーとして、その名を全国に轟かせている。