カープの現役選手たちのルーキー時代を振り返る本企画。今回取り上げるのは、2020年シーズンに、リリーフ投手として飛躍を遂げた快速左腕・塹江敦哉。プロ入り4カ月経った時期に行った独占インタビューを振り返ると、高校時代に経験した大きな失敗が、塹江の心を支えていた。当時の言葉と共に、左腕の原点を振り返っていく。

2014年ドラフト3位でカープに入団した塹江敦哉投手。プロ1年目は二軍で経験を積んだ。

◆高校2年の夏は、自分の投球人生のどん底だったのかなと思います

 2015年シーズン、ドラフト3位で入団した塹江敦哉は、高卒選手ということもあり、まずプロ野球選手として、そして社会人として、1日1日鍛錬を重ねていた。

「(プロ入り4ヶ月)試合にはほとんど出ていませんが、だいぶ慣れてきました。野球については想像通りですが、野球以外の時間でもたくさん勉強させてもらっています。先輩から社会人としてのマナーなどいろいろ教えていただいているので、社会人としての自覚も身についています。いろいろ失敗もありますが、なるべく自分から気づいたり、周りを見て率先して行動するということが野球につながる部分もあると思うので、日々意識しながら過ごしています」

 甲子園は未経験ながらドラフト3位で指名された塹江。高校2年で味わった“どん底”の経験が、塹江の心を強くした。高校2年の夏の大会の準決勝。甲子園出場にあと一歩と迫った大事な試合にもかかわらず、0回2/3、11失点、5四死球という投球をしてしまい、試合を壊してしまった。

「とにかくひどい思い出として印象に残っていますし、自分の投球人生のどん底だったのかなと思います(苦笑)。じつはその試合で147kmが出たのですが、結果的に打ち込まれてしまいました。そのあと打ち込まれることが怖くて投げれない時期も正直ありました」

 高校1年から順調に上がっていた直球の球速も、この試合を境に、下がっていった。そんな塹江を立ち直らせたのは、周囲からのアドバイスだった。塹江をよく知る周りからの声に支えられ、自分の持ち味を見つめ直していった。

「あの経験があったから今の自分があるのだと思います。準決勝で負けずにそのまま甲子園に行っていたら自分はどうなっていたんだろうと時々思います。もしかしたら、そこで満足していたのかもしれませんし、投げ過ぎで故障していたかもしれません。結局は腕が振れない時期があったからこそ、腕を振ることの大事さも分かるようになったのだと思います。僕は全てのことをなるべくポジティブに考えるようにしています。悪いことが起こっても、これが起こってなかったら、さらにもっと悪いことが起こるかもしれないと考えるようにしています」

 プロ入り後、自主トレ、キャンプと順調にトレーニングを重ね、プロの空気に慣れてきた塹江にチャンスが巡ってきたのは1年目の6月26日。二軍の中日戦で今季初先発の機会を得ると、5回無失点という素晴らしい投球を披露した。

「1年目だし打たれるのは仕方がないという気持ちで開き直ったことが良い結果につながったのだと思います。球速自体は147kmでしたが、相手の打者が振り遅れていた感じもありましたし、ヒットも出なかった点は良かったと思います」

 左腕から繰り出される150kmを超えるストレートが武器の塹江にとって、その直球で空振りをとれ、打者を押し込むピッチングが最大の魅力となる。

「今の目標は真っ直ぐを軸にしていく投球の構築です。真っ直ぐで押せるうちは押していくつもりです。そこに人生で投げ込んでいった球数もどんどん“経験”として積み重なっていき、安定感もでてくるのではないかと思います」

 塹江のプロ1年目、一軍での登板はなかったが、二軍戦で7試合に登板。6月には大学日本代表と対戦する『侍ジャパン』のNPB選抜メンバーにも選出。一軍デビューを果たす2年目の2016年に向けて着実に成長を遂げた。