◆高校2年で味わった、どん底

― 高校時代はどんな選手だったのですか?

「入学して4月から投手として使っていただきました。当時は打撃も良かったので代打や、投手として出ない日は野手として出ていました。夏の大会もベンチに入らせてもらって、5割ぐらい打っていたんですよ。まぁセンター前ばっかりだったんですけどね(苦笑)。高校入学のときに夏の大会ではベンチに入りたいと思っていたので、良かったなと思います」

― 当時はどのぐらいの球速を計測していたのですか?

「2年の夏に一気に球速が上がって、147キロをマークしました。1年の秋と比べると一気に10キロ近く上がりました。最終的に3年の夏に149キロを投げることができました」

― 高校時代の一番の思い出はなんですか?

「2年の夏の大会の準決勝で0回2/3、11失点、5四死球という投球をしてしまったことですね。あまりにもひどい思い出として印象に残っていますし、自分の投手人生のどん底だったのかなと思います(苦笑)。実はその試合で147キロが出たのですが、結果的には打ち込まれまれてしまいました。そのあと打ち込まれることが怖くて投げられない時期も正直ありました。そこまで順調に伸びていた球速もコントロールを意識しすぎて、2年の秋には143キロという数字で終わってしまったんです」

― そこから立ち直ったきっかけはなんだったのですか?

「周りの人からのアドバイスによって、自分の持ち味を改めて見つめ直したことです。僕の場合、直球の力がなかったら制球も変化球もそこまで良いわけではないですし、良いところを見せられないなと改めて考えました。そこからは切り替えて3年の春に向けて体をもう一度つくり直しました」

―― 壁を乗り越えた瞬間ということですか?

「あの経験があったから今の自分があるのだと思います。準決勝で負けずに、そのまま甲子園にいっていたら自分はどうなっていたんだろうと時々思います。もしかしたら、そこで満足していたのかもしれませんし、投げ過ぎで故障していたかもしれません。結局は腕が振れない時期があったからこそ、腕を振ることの大事さも分かるようになったのだと思います。僕は全てのことをなるべくポジティブに考えるようにしています。悪いことが起こっても、これが起こってなかったらさらにもっと悪いことが起こるかもしれないと考えるようにしています」