ではもうひとつの大きなトピックは何だったか? それは本書の後半に登場する。もう物語として3連覇の時期を語り終え、いよいよ終幕に向かおうとする頃。緒方さんがカープの監督を退任する日――それは緒方さんがカープですごした33年間にピリオドを打つ日でもあった――の、まさにその退任会見の裏側で事件は起こっていたという。

 緒方さんの口からその事実を聞かされたとき、私の両腕には鳥肌が走った。私はそれまで緒方さんから勝負の世界の厳しさをさんざん聞かされていたが、そうしたものを踏まえた上で、なおかつそんな残酷な偶然が、映画のようなドラマチックな運命が存在するのかと思うと、言葉は消えて、話に無心で聞き入るしかなかった。

「……ここからユニフォームを脱いだ先のことは本当にまったく考えていないし、本当に“いちOB”として選手たち、カープを見守り、応援していこうと思っています……」
 私のカープ監督としてすごした5年間、広島カープの人間としてすごした33年間が静かに終わろうとしていた。
 しかし監督としての最後の仕事となる“退任の辞”に向かいながら、私の心はそこになかった。いや、会見の冒頭からずっと、私の心は違う場所をさまよっていた。
 会見をしている間にも、私のスマートフォンには次々と家族からのメールが届く。
 監督退任会見のまさにその裏側で、私にとってはもうひとつの重要な事態が進行していた。
――『赤の継承 カープ三連覇の軌跡』257ページ

 今回、本の制作を通して私がもっとも痛感したのは「われわれファンは本当のことを何も知らない」ということである。

 これは自戒も込めて書くが、スポーツはやる方も観る方も熱くなれるのが楽しいところである一方、しかし試合に没頭するがあまり、応援するチームが負けたときなど乱暴な言葉が口を突いて出ることが頻繁にある。特に昨今はSNSなどで簡単に感情を吐き出せるため、敗戦後はタイムライン上に荒っぽい言葉があふれることも多い。

 しかし、はたしてわれわれは目の前で展開している試合のすべてを本当に分かっているのだろうか? 表面だけ見て「〇〇やめろ!」とか「〇〇外せ!」など、八つ当たり気味の個人攻撃に走っていないだろうか?

 本書が世に出た後、「緒方さんがそこまでカープのことを考えていたとは知らなかった」「あのときは酷いことを言ったが、改めてありがとうと言いたい」といった感想を数多く読んだ。監督というのは勝敗の責任を負う立場であり、緒方さんも在任中は多くの批判を浴びた。もちろん緒方さんはそうした誤解も込みで、あえて“戦略としての寡黙さ”を演出していたわけだが、監督業も終わり、やっと真実を話していいという状況の中、少しでも緒方さんやカープについての本当の姿を知るきっかけになってくれればと思って私は本書の制作に臨んだ。シーズン中は感情的になって見えなかった真実に改めて冷静に向き合うことで、チームや監督に対する敬意、そして愛着がさらに増してくれれば編者としては幸いである。

 さて、今年のプロ野球もいよいよ開幕した。ここからは視線を上にあげ、目の前の試合を楽しんでいこう。

プロフィール
しみず・こうじ●作家・編集者・ライター。2019年、小説『愛と勇気を、分けてくれないか』(小学館)で広島本大賞受賞。野村謙二郎氏の著書『変わるしかなかった。』(KKベストセラーズ)に続き、前カープ監督・緒方孝市氏初の著書『赤の継承 カープ三連覇の軌跡』(光文社)の編集・構成も手掛ける。現在広島を中心に、執筆活動以外にもテレビコメンテーター、ラジオパーソナリティなど多岐に渡る活動を展開する。

書籍紹介
緒方孝市『赤の継承 カープ三連覇の軌跡』(光文社)
広島カープを25年ぶりの優勝、リーグ3連覇に導いた闘将が、これまで語られなかった胸の内を著した一冊。カープはなぜ優勝することができたのか? 監督に必要な資質とは何か? そして日本一になるために足りないものは何なのか?――カープ第二期黄金時代と呼ばれる緒方監督期の5年間を詳細に追いながら、「監督論」「育成論」「組織論」など自らのメソッドも語り尽くす。カープファンにもビジネスマンにも役立つこと必至の話題作!

ご購入はこちらから