背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

2019年シーズンを上回る活躍が期待されている床田寛樹投手。

 今回取り上げる背番号『28』は、『3』の項で取りあげた通り、衣笠祥雄が入団当初から10年間つけ、“鉄人”というニックネームの由来となった番号である。もちろん“鉄人28号”から来ており、その意味では『28』をつけた選手はみんな“鉄人”とあだ名されてもおかしくないわけだ。

 衣笠は京都の平安高から1965年に捕手として入団。3年目の1967年に内野手に転向したが、この年までは出場試合も30試合前後と少なく、まさに“助走期間”だった。だが1968年に5番打者に抜擢されてからは一軍に定着し、ほぼ全試合に出場することとなり、1970年10月から連続試合出場記録がスタートした。1975年に三塁手に転向したのを機に背番号も『3』に変更された。

 背番号『28』の使用年数で、衣笠の10年を破ったのが1982年ドラフト1位入団の西田真二だ。打撃に比べ守備にやや難があったことから、現役時代は主に代打としての起用が多かったが、1983年にセ・リーグタイ記録となる4連続代打本塁打を放つなど、勝負強さが際立っていた。

 1991年には4番でスタメン出場する試合も増え、5年ぶり6度目のリーグ優勝に貢献。規定打席到達のシーズンはなかったが、記憶に残る一打を多く放っている。西田は1995年限りで引退するまで、13年にわたって背番号『28』一本だった。