◆母方の祖父が元カープの選手

─ カープに入団する前の正随選手についてお伺いしたいのですが、野球を始めたきっかけを教えてください。

「元カープの選手だった母方の祖父の影響です。幼稚園までは大阪でサッカーをしていたんですが、親の仕事の関係で小学生になるタイミングで広島に戻ってきたんです。その時から祖父に野球を教えてもらうようになりました」

─ やはり正随選手の野球人生を語る上で、おじいさまは大きな存在なんですね。

「中学校までは土日だけの練習だったので、平日はよく祖父と練習をしていました。野球の師匠とも言える存在です」

─ その後、高校野球の名門校・大阪桐蔭高に進学されました。

「最初は広陵高に行こうとしていたんですけど、広陵高野球部の創立100周年記念として、広陵高と大阪桐蔭高が対戦した試合を見たことがきっかけです。当時の大阪桐蔭高と言えば、森友哉さん(西武)が1年生で、藤浪晋太郎さん(阪神)が2年生にいた代で、とにかく圧倒的だったんです。その試合をきっかけに『ここに進学しよう。ここで野球をやりたい』と思うようになりました」

─ 実際に大阪桐蔭高の野球部に入部してみていかがでしたか?

「1年生のときは周りがすごすぎて、自分が入る場所がないと思っていました。中学レベルでは通用していた自分が全く通用していなくて、苦しんでいましたね。『なんでこんなうまくいかんのかな?』といつも思っていました」

─ 当時からプロに対する思いをもっていたのでしょうか?

「とにかくプロに行きたいということばかりを考えていました。だからこそ結果が出ていない自分に焦りがありましたね」

─ 3年時に4番を務めていましたが、当時から4番という打順に対してこだわりはありましたか?

「こだわりはありませんでしたね。4番に座るほど結果を出していませんでしたし、良い意味で『4番目の打者』というぐらいの気持ちでいました。それこそ母校の歴代の4番に比べたら全然自分は4番っぽくありませんからね」