◆2010年・交流戦10位(24試合10勝12敗2分)【ケガ人続出で3年ぶりの負け越し】

 野村謙二郎新監督で迎えた2010年は開幕直後から厳しい戦いを強いられた。前年10勝の大竹寛、35ホールドのシュルツ、36セーブの永川勝浩が序盤から相次いで離脱。軸となる投手が整わない中、交流戦の開幕を迎えることとなった。

 初戦の楽天戦を落とすと、その後も負の連鎖は続き、5月終了時にはチームの借金が二桁に到達(43年ぶり)。ロッテ戦では栗原健太が死球を受け、右手首骨折による戦線離脱を余儀なくされてしまった。

 最終的に最優秀防御率、沢村賞に輝く前田健太、新加入のスタルツが共に3勝と気を吐いたが、チーム防御率は11位と低迷。主力選手の離脱は確実にチーム力を落とし、最後まで浮上のキッカケをつかむことができなかった。

◆2011年・交流戦12位(24試合6勝16敗2分)【打線が沈黙し4年ぶりの単独最下位】

 2011年は開幕ダッシュに成功したカープ。4月に単独首位、7年ぶりの貯金5といったワードが取り上げられるなど、明るい材料もある中で交流戦に突入した。

 ところが鬼門はやはり鬼門だった。開幕早々に廣瀬純が右足の故障で離脱すると、大竹寛も右手小指骨折で登録を抹消。投手陣もさることながら打撃陣の不振は深刻で、6月3日のオリックス戦でストップするまで、50回無得点というリーグワースト記録をつくり出してしまった。

 その3日後には12年ぶりの10連敗も記録。頼みの綱である前田健太、バリントンも交流戦に限っては共に1勝2敗と沈み、投打そろっての不振が順位の急降下を生み出してしまった。勝率はわずか.273にとどまり、4年ぶりの単独最下位が決定。開幕ダッシュの勢いを持ってしても、交流戦の呪縛から逃れることはできなかった。