カープが球団創設26年目にして初優勝を果たした1975年。勝負強い打撃とパワーでチームを牽引したのがゲイル・ホプキンスだ。山本浩二、衣笠祥雄らと強力クリーンアップを形成し、初優勝に大きく貢献。ここでは日本を愛する伝説の助っ人の、懐かしのインタビューを再録する。
(『広島アスリートマガジン』2013年6月号掲載)

2013年5月、広島で行われた日本整形外科学会学術総会のために来日したホプキンス氏。マツダスタジアムで始球式も行なった。

◆古葉監督は最高の監督の一人

― 古葉竹識監督はどのような指揮官だったか聞かせてもらえますか?

「その前に、私はアメリカでも素晴らしい監督に恵まれてきました。その中でも最高だったのは、ロイヤルズのボブ・レモン監督です。彼の現役時代は好投手で、のちに素晴らしい監督になりました。打順や求められる役割を選手一人ひとりに明確に示してくれました。例えば一般企業でも、上司は何を部下に期待して何を求めているか示すことが大事です。私もボスが何を期待しているか、いつも知りたいと思っていました。そうすれば、私はアジャストして実行できるわけです」

― 古葉監督も同じようなタイプの監督だったのでしょうか?

「古葉さんは(前任のルーツ監督がシーズン開幕直後に帰国したため)大変なタイミングで監督になったと思います。春季キャンプの段階から、自分が監督になると思ってチームに関わっていたわけではありません。シーズンの最初から任されていたならば、全てを自分の思い描くように変えていけたでしょうが、シーズン途中から指揮を執るとなればそうはいきません」

― ルーツ監督は、わずか15試合のみの指揮で突然の辞任でした。

「そこで古葉さんは、ピッチャーのローテーションもラインアップも(ルーツ監督の流れを)継続しました。春季キャンプからルーツ監督が成し遂げようとしたものを受け継ぎ、そして優勝しました。古葉さんは各選手に役割をしっかり伝えてくれました。ですので、私はプレーで戸惑ったことがありません。ひとつ覚えているのが、シーズン中に私が故障して打撃の調子を落としたときです。ひどい状況だったので古葉さんに『休ませてくれ』と言ったのですが、彼は『英語は分からないよ』と言って、取り合ってくれませんでした(笑)」

― 舞台裏で、そのようなことがあったのですね。

「彼はスタメンを変えませんでした。打順に手を加えることがなかったんです。それは選手からすると、うれしいことです。監督はそれだけ私にプレーヤーとしての自信を持たせてくれているわけですから。私にとっては、古葉監督は最高の監督の一人です。いつも鼓舞してくれ、素晴らしい野球観をもっていました。古葉監督とボブ・レモン監督はそういった意味で同じように素晴らしいです」