お笑い芸人として活躍中のザ・ギース尾関高文氏の本連載。これまでカープに在籍した歴代外国人選手を、時には厳しく、時には優しく、時にはユーモアを交えながら、尾関氏ならではの視点で紹介していきます。今回は、1975年~1976年にカープに在籍。カープの初優勝の立役者とも言える助っ人リッチー・シェインブラム選手について語っていただきます。

カープの歴史を変えた助っ人

 2021年5月14日。とあるカープレジェンドの訃報が飛び込んできました。そのレジェンドの名はリッチー・シェインブラム氏。カープ初優勝の立役者「シェーン」と言えば思い出す方も多いのではないでしょうか。明るいキャラクターでスイッチヒッター。同僚ホプキンスさんとともにカープ史に残る神助っ人です。

 僕は縁あってシェーンさんとFacebookで友人だったのですが、カープの思い出を教えてくださったり、誕生日の時はお祝いメールを送ってくれるような気さくな方でもありました。

 シェーンがカープに来たのは1975年。若い人は何を言ってるのかわからないと思いますが、紅茶キノコブームで盛り上がった年でもあります。

 それまで、球団創設以来優勝がなかったカープが、外国人監督ジョー・ルーツ氏によって球団カラーを赤に変え、強力な助っ人を獲得。その一人がリッチー・シェインブラムでした。

 メジャーでも活躍しオールスターにも出場したシェーン。日本でもしっかり結果を出すと、スイッチヒッターとして1975年5月には日本プロ野球初の左右両打席本塁打を成し遂げます。このシェーンの活躍がその後のカープにスイッチヒッターの流れを作り出したのです。

 そしてシェーンといえば、同年の優勝争いの最中、9月14日にユダヤ教の安息日のため試合を欠場するという出来事もありました。仕方のないこととはいえ、絶対落とせない試合のため、古葉監督はだいぶ説得したようです(笑)。

 その後1976年を最後にライトルと入れ替わるように母国へと帰ったシェーン。間違いなくその後のカープ黄金期を作り上げた助っ人でした。

古巣カープへの想い