今季苦しい戦いを強いられているカープ。チーム打率こそリーグトップの.262を記録しているものの、盗塁数はリーグ4位の57個と寂しい数字となっており、伝統の機動力野球の再建が急務だ。ここでは改めて、カープにまつわる『機動力のうんちく』を振り返ってみる。

2017年に自身初の盗塁王(35個)に輝いた田中広輔選手。

 カープの昭和黄金期である1980年代、生涯『代走』として生きた今井譲二という足のスペシャリストが存在した。1978年から1989年までのプロ11年間で263試合に出場したが、打席数はわずかに31。通算で62盗塁を決めていることからも、いかに代走での出場が多かったかが分かる。

 ちなみに1987年には36試合に出場しながら打席が0という珍記録も残した。この数字が示すように、一芸に秀でた本物のスペシャリストだった。

 機動力野球という伝統はその後も脈々と受け継がれ、1989年にはヤクルトの笘篠賢治と正田耕三が最後まで熾烈な盗塁王争いを繰り広げた。笘篠が32個、正田が28個で迎えた10月15日の最終戦(対中日戦)で、カープの背番号『4』正田がダイヤモンドを幾度となく駆け巡った。

 この試合で4打数3安打、相手のエラーも相まって4度出塁を果たすと、その全てで盗塁を敢行。二盗を4回、さらに三盗を2回と1試合で計6個の盗塁を成功させ、すでに全日程を終えていた笘篠を抜き、正田が初の盗塁王に輝いた。1試合6盗塁は、中日の山崎善平(1952年6月3日に記録)と並ぶプロ野球タイ記録である。

 1953年に金山次郎がチームで初めて盗塁王に輝いたのを皮切りに、その後も大下剛史、衣笠祥雄、正田、梵英心、丸佳浩、田中広輔(各1回)、古葉竹識(2回)、髙橋慶彦、野村謙二郎、緒方孝市(各3回)が獲得。カープの歴史を紐解けば、足を使った攻撃は武器となっているだけに、来季以降は機動力野球の復活を期待したい。