今シーズン、4年ぶりに導入されることが発表されたカープ『限定ユニホーム』。選手たちが着用するユニホームは、そのデザインやバリエーションでもファンを楽しませてきた。70年を超えるカープの歴史を振り返ると、実にさまざまなユニホームが登場している。ここではチームと共に歩んできた“珠玉の一着”を振り返ってみよう。

8月の6試合で着用する『アメフト風ユニホーム』

■カープ創成期に着用、『グレー』のユニホーム

 「戦後の広島の街に元気をもたらす存在を」との気運から、1950年(昭和25年)に誕生したカープ。その球団創設時に選手が着用していたのがグレーのユニホームだ。当時はまだホーム&ビジター制が確立されていなかったため、このグレーのものが、第1号として使われている。しかし同年にピンストライプの入ったユニホームが完成すると、グレーのユニホームは次第にビジター中心で着用されるようになった。

■カープといえば、の代名詞。『赤』ユニホームのはじまり

 ユニホームの画期的な変化と言えば、初優勝した1975年に帽子が従来の紺色から赤に変化したことだ。3年連続最下位に沈んでいたカープの低迷打開の切り札として招聘したジョー・ルーツ監督が、勝利への情熱をチームに植え付ける意識改革を断行。そのルーツの熱い闘志が帽子に反映され、燃えるような赤へと色が変更された。以後、この赤がチームカラーとして定着したことを思えば、まさに革命的な出来事だった。

■初優勝時のユニホームは、ベルトなしのデザイン

 ユニホームの変遷はデザインにとどまらず、機能性の面でも1972年頃から徐々に変化を見せ始めた。今では上着はボタン式で、ウエストの調節はベルトというタイプが当たり前になっているが、カープ初優勝時の頃はプルオーバーのベルトレスのユニホームが主流だった。しかしこのユニホームは『ウエストのゴムの部分がめくれてしまう』という理由で、太めの選手には不評だった。

■『ネームあり』ユニホームが登場したのは47年前

 背中に番号だけでなく英字で名前を付けるようになったのは、1978年のことだ。昭和40年代はセ・リーグでは阪神と大洋(現DeNA)のみ名前を入れていたが、選手の名前を覚えてもらうためのファンサービスの意味もあり、全球団に広まっていった。

 紆余曲折を経て、カープファンおなじみの今のスタイルに辿り着いたユニホーム。今シーズンの『アメフト風ユニホーム』は、前面に大きく背番号があしらわれたインパクト大のデザインだ。こちらもまた、マツダ スタジアムでファンの目を楽しませてくれるに違いない。

 アメフト風ユニホームは8月1日〜3日及び22日〜24日の中日戦で着用される。