プロ野球の世界のみならず、アスリートにとって『背番号』は時に選手の代名詞となるなど、大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手たちの足跡を背番号と共に振り返る。今回は、背番号『0』を紐解いていく。
◆カープ初の『0』は、あのミラクル男
広島カープに背番号『0』が登場したのは1983年のこと。1979年にドラフト外で入団した彼は当初『66』をつけていた長嶋清幸が、4年目の1983年シーズン開幕にあたり背番号『0』への変更を希望。当時の古葉竹識監督に認められたことで実現した。
これを機に、長嶋は目覚ましい活躍を見せた。初年度の1983年は初めて全130試合に出場。メキメキと台頭し、ついにはセンターのポジションを奪ってみせた。いつしか“ミラクル男”の異名を取るようになり、翌1984年シーズンには多くの印象的なシーンを生み出し、日本一に大きく貢献した。
“初代”である長嶋の活躍が効いたのか、その後も背番号『0』の系譜は途切れることなく続いた。1991年からは守備力を武器とするユーティリティープレーヤーとして活躍した高信二が2代目「0」として活躍。1999年からは、1994年オフに長冨浩志との交換トレードで日本ハムから移籍した木村拓也が継承し、俊足巧打のスイッチヒッターとして活躍した。守備面でも捕手、内野、外野と幅広いポジションをこなすなど、チームに欠かせない存在となり、2006年にトレードで巨人に移籍するまで背負った。
2007年からは井生崇光が背負い、木村拓也に代わるユーティリティープレーヤーとして期待され、代打、守備固めを中心にチームを支えた。そして現在のカープで背番号『0』を最も長く背負っているのが、上本崇司だ。
2012年ドラフト3位指名で入団すると、高い守備力と走力を誇る名バイプレーヤー的な存在に成長。内外野を守れる超ユーティリティープレーヤーとして存在感を示し、2023年には4番を経験するなど、打撃においても適応力を見せ、背番号0の系譜を継いでいる。
【背番号『0』を背負った主なカープ選手】
長嶋清幸(外野手/1983年-1990年)
高信二(内野手/1991年-1998年)
木村拓也(外野手/1999年-2006年)
井生崇光(外野手/2007年-2012年)
上本崇司(内野手/2013年-)