プロ野球の世界のみならず、アスリートにとって『背番号』は時に選手の代名詞となるなど、大きな意味を持つことも少なくない。ここでは時代を彩ったカープ選手たちの足跡を、その背番号と共に振り返る。今回は、ロマン溢れるナンバーとも呼ばれる『124』を取り上げる。

今季、守備・走塁だけでなく打撃面でも存在感を見せる大盛穂

◆1999年ドラフト1位も背負った“希望”の番号

 カープに背番号『124』の選手が誕生したのは2009年。ドミニカ共和国のいわゆるカープアカデミーから来日し、独立リーグでのプレーを経て育成選手契約を結んだ投手・ディオーニ・ソリアーノが最初だった。ただし、『124』を背負った期間はわずか半年。2010年には初勝利を初完封で飾ったものの、2011年限りで日本球界を離れている。

 『124』を引き継いだのは、1999年ドラフト1位で即戦力左腕として入団した河内貴哉だった。入団時に『24』を与えられた河内は、ルーキーイヤーの5月にプロ初勝利(巨人戦)を飾る。2004年にはオールスターゲームに出場し8勝を挙げるなど活躍したが、2008年5月に左肩関節唇及び腱板部の修復手術を受けた。2009年シーズンをもって戦力外通告を受けたものの、育成選手として再契約。この時に背負った番号が、それまでの『24』に100を足した『124』であった。

 以後も『124』は育成選手に与えられている。2018年育成ドラフト1位の大盛穂も、『124』を受け継いだ選手のひとりだ。2019年シーズン後には支配下登録を獲得。背番号は『59』となり、カープの育成出身選手としては中谷翼以来10年ぶりの安打を記録するなど手応えをつかんだ。2025年シーズンはここまで一軍58試合に出場し、キャリアハイとなる3本塁打もマークしている(7月16日時点)。

 直近では、2023年育成ドラフト2位で入団した佐藤啓介が『124』を背負った。2024年シーズンは二軍で17試合連続安打をマークするなど好調な打撃を見せ、同年6月に支配下登録を勝ち取っている。『124』は、カープにおいて育成選手の出世番号のイメージが定着しつつある“希望の番号”と言えそうだ。