2009年10月10日、緒方孝市前監督の現役最終打席は三塁打。直後に阿部慎之助選手(現巨人二軍監督)から花束が贈られた

選手時代の悔しさが監督としての信念に

 昨シーズン、4年ぶりのBクラスが確定した翌日の10月11日、緒方氏はユニホームを脱ぐ決断を下した。振り返れば2015年に監督就任以降は、カープにとって激動の日々だった。監督就任2年目の2016年にはチームを25年ぶりの優勝に導き、翌年は37年ぶりのリーグ連覇、そして2018年には球団初のリーグ3連覇を達成。数多くのドラマと感動を監督としてカープファンに届け続けてきた。監督としての5年間、緒方氏はひとつの信念を持ってチームを率いた。

「優勝から遠ざかる中で2015年から監督を務めさせていただき、就任時には『投手力を含めた守りの野球、攻撃では機動力を全面に出し、接戦で勝ちきれるようしたい』と言わせてもらいました。現役、コーチ時代を含めて振り返った時に、野村克也監督が率いたヤクルト、落合博満監督が率いた中日、そして巨人、阪神が強い時期もありました。やはり優勝するチームを見ていると投手力が絶対に必要なんです」

 そのように考えるには理由がある。現役時代の1996年、三村敏之監督が率いたチームで緒方氏は主力選手として活躍していた。『ビッグレッドマシン』と呼ばれた強力打線を看板として前半戦から首位を独走していたが、シーズン後半に投手力に陰りが見え始めると、巨人に逆転優勝を許し『メークドラマ』という言葉が生まれた。その悔しい経験は、監督・緒方孝市としての基本的な考えを形成する上で重要な出来事だった。

「あの時期、カープに投手の駒がもう1つ、2つあれば……と、実際にプレーしていた自分たちもそういう思いがありましたし、監督であった三村さんが一番そう感じていたと思います。そういう時代を過ごしてきているだけに、『勝てるチームがどういう野球をすれば良いのか?』というのは見てきた中で身にしみて分かっているんです。そういう思いもあり、自分が監督として優勝するためには?と考えて、そのように目指す野球を表現させてもらいました」

 緒方氏がチームを率いた5年間、優勝を果たした3シーズンは1996年の打線をも上回る強力打線が目立っていた。しかし、『投手力を含めた守りの野球』は確実に数字として現れていた。4位に沈んだものの、監督1年目の2015年には中崎翔太をストッパーに抜擢するなどリリーフ陣を整備しながら、リーグ2位のチーム防御率を記録。エース・前田健太がチームを去った翌2016年には、リーグトップのチーム防御率で25年ぶりの優勝を達成。その後、投手陣の精神的支柱であった黒田博樹が引退したが、黒田イズムを受け継ぐ若手投手陣がその後の連覇を支えた。そして投手陣のみならず、菊池涼介をはじめ田中広輔、丸佳浩(現巨人)、鈴木誠也ら伸び盛りの野手陣がゴールデン・グラブ賞を受賞するなど、固い守りも3連覇中のチームを支えていた。