プロ野球のレギュラーシーズンも残りわずかとなってきた。序盤から投打が噛み合わず、チーム成績は伸び悩んできた。特徴としてチーム打率こそ序盤からリーグ上位を推移し、10月15日現在では打率.263はリーグトップ。しかし、得点数510はリーグ5位だ。

後半戦に調子を上げ、首位打者獲得が期待される鈴木誠也。

 選手個人に目を向けると、鈴木誠也はリーグトップの打率.321を記録。さらに初の規定打席に到達した坂倉将吾はリーグ4位(.313)、小園海斗が9位(.292)と、打率ランキングトップ10に3選手がランクインしている。

 過去に打撃が活発だったシーズンは、チーム全体としてどのような成績を残していたのか? ここでは改めて記録と記憶に残る主要な“カープ歴代強力打線”をピックアップし、チーム成績とチーム打率の相関性を見ていく。

◆【1978年・脅威の200発打線】チーム成績3位/チーム打率1位
<打率.284/130試合/1244安打/205本塁打/692点/盗塁54>

 1978年はカープ球団史上最多のチーム本塁打数を記録した。来日2年目のギャレットは、開幕4試合連続アーチの新記録を樹立するなど序盤から一発を量産。王貞治(巨人)、大杉勝男(ヤクルト)、長嶋茂雄(巨人)が持つ月間タイ記録と並ぶ、月間14本塁打も達成した。

 8月には山本浩二が月間MVPを獲得。9月28日には水谷実雄が2本塁打を放ち、シーズンチーム最多本塁打195の日本新記録を打ち立てた。結果、山本は44本で球団初の本塁打王、水谷も首位打者に輝いた。山本、ライトル、衣笠祥雄が30本塁打以上を記録するなど軒並み高い打撃成績を残し、チーム本塁打205本はいまだに球団史上最多だ。

 チームは3位に終わったものの、翌年からの2年連続日本一を支えるメンバーたちが輝きを放ち始めたシーズンとなった。

◆【1996年・3割バッター5人を生んだ“ビッグレッドマシン”】チーム成績3位/チーム打率1位
<打率.281/130試合/1264安打/162本塁打/642点/盗塁115>

 三村敏之監督就任3年目のシーズンは開幕直後こそ苦戦したが、5月、6月をハイペースで乗り切り巨人の最大11.5ゲーム差をつけていた。

 打線は野村謙二郎、前田智徳、緒方孝市、江藤智、金本知憲など生え抜き選手を軸に、この年からロペスも加入。“ビッグレッドマシン”と呼ばれる超強力打線を形成した。

 投手陣は序盤から紀藤真琴や山内泰幸、抑えの佐々岡真司らが盤石の投球を見せ、優勝はほぼ間違いないものと思われていた。しかし7月9日の巨人戦での敗戦を機に、風向きが一気に逆転。その後故障者が続出したこともありカープは失速。“メークドラマ”と呼ばれる巨人の猛追を許し、まさかの3位でシーズンを終えた。

 この年に記録したチーム打率.281は、1978年に次ぐ球団史上2位。規定打席到達打者の内、3割打者は5人と、平成カープの中でも最強打線との呼び声も高い。

◆【2005年・20本カルテット形成】チーム成績6位/チーム打率2位
<打率.275/146試合/1374安打/184本塁打/586点/盗塁51>

 山本浩二監督最終年となった2005年。最終的に借金26で1993年以来12年ぶりの最下位に沈んだものの、打線自体は活発だった。主要メンバーの成績を見ても、それは明らかだ。

 前年首位打者に輝いた嶋重宣が、打率.288で27本塁打。以下、前田智徳(打率.319/32本塁打)、緒方孝市(打率.306/21本塁打)、ラロッカ(打率.303/18本塁打)、新井貴浩(打率.305/43本塁打)が本塁打王に輝くなど、チーム打率は.275を記録した。

 ところがチーム防御率が4.80と投手陣の不調が響き、強力打線が奮闘したものの、長らく続く低迷期を脱することはできなかった。

◆【2016年・「逆転のカープ」を演出する“つなぎの打線”】チーム成績1位/チーム打率1位
<打率.272/143試合/1338安打/153本塁打/649点/盗塁118>

 2015年はチーム打率が5位(.246)と低迷し、3年連続のクライマックス・シリーズ進出を逃していた当時のカープ。

 2015年シーズンオフには打撃面の改革に着手し、一軍内野守備・走塁コーチを担当していた石井琢朗を一軍打撃コーチに抜擢。東出輝裕、迎祐一郎と共に、球団初の打撃コーチ3人体制を導入。練習方法を変え、打撃の意識改革に取り組んでいく。

 その効果は開幕直後から現れ、“つなぎの打撃”でシーズン序盤から打線は活発さを続けて上位争いに加わった。

 上位打線は“タナキクマル”トリオで固定し、シーズン途中からは当時39歳の新井貴浩が勝負強い打撃で101打点を記録。さらに、“神ってる一発”を連発したプロ4年目の鈴木誠也が打率.335、29本塁打、95打点と大ブレイク。若手とベテランが絶妙に融合した強力打線を形成した。

 結果、交流戦の勝ち越し、リーグでは全球団に勝ち越し。圧倒的な打撃力を武器にシーズンを一気に駆け抜け、25年ぶりのVを達成した。89勝のうち逆転勝利数は45勝ということもあり「逆転のカープ」と呼ばれた。