歴代2位のJ1通算161得点、Jリーグ最多となる通算220得点など、FWとして数々の金字塔を打ち立て、2020年に現役引退した佐藤寿人氏。キャリアの大半を過ごしたサンフレッチェ広島には2005年に移籍し12シーズン在籍。3度のJ1リーグ優勝に大きく貢献した。

 ここでは広島アスリートマガジンに掲載された佐藤寿人氏のインタビューを再収録。当時の言葉と共に、広島でのサッカー人生を振り返っていく。

 「佐藤寿人セレクトインタビュー」1回目は、サンフレッチェ広島移籍直後のインタビュー前編。2005年、ベガルタ仙台からサンフレッチェ広島への移籍を決断した当時の心境にスポットを当てた。
(広島アスリートマガジン2005年4月号掲載のインタビューをもとに編集。表記、所属等は当時のまま)

移籍1年目から日本人得点王となる18得点を記録。2005年度のJリーグベストイレブン、また日本A代表にも初選出された。

◆小野監督の言葉が移籍への思いを強くさせた

―佐藤選手は2003年にも一度、サンフレッチェから移籍のオファーを受けたと伺いました。

「仙台のJ2降格が決まって天皇杯が終わった後、剛さん(小野監督)から『一緒にやらないか』という話を頂きました。声を掛けてもらったことはとてもうれしかったです。でもその時は、すぐに断りました。同世代のカズ(森﨑和幸)や(森﨑)浩司、駒ちゃん(駒野友一)は、五輪のことを考えればJ1の方が良い環境だということが分かっていながら、チームに残って結果を出しているんです。だから同じ状況に置かれた僕が仙台を離れて、J2を戦い抜いてきた広島に入ることはできないと思いました。周りの人からも『J1でプレーした方がいいんじゃないか』『良い話だから行くべきだ』と言われて、誰一人『仙台に残った方がいい』とは言わなかったんですけど、1年で仙台をJ1に上げたい思いが強かったので、その時は断ったんです」

―仙台に残るという選択をした2004年を振り返っていかがですか?

「トレーニングマッチでもJ1のチームを相手にしっかりと結果を残すことができて、良い形で開幕を迎えることができたんです。でも開幕戦では思わぬ形で負けてしまって…(0-4で横浜FCに敗戦)。どこかに『J2だからある程度のサッカーをしていれば勝てるだろう』という甘い考えがあったのかもしれません。開幕後1勝6敗になった時は、自分たちの目指すサッカーさえも見失っていました。結局シーズンを通して一度も2位以内に入ることができませんでしたから。苦しい1年だったと思います」

―佐藤選手自身は44試合で20得点という活躍でした。

「でもジュニーニョ(川崎)は37点取りましたから。J2での20点は僕の中ではそれほど良い記録ではないというか…。身近な存在でいえば昔から一緒にやっていた大黒くん(将志・G大阪)が、J1で20点取っているんです。2004年の成績には全然納得してないですね」

―そしてシーズン終了後には、再びサンフレッチェから移籍のオファーが待っていました。この時はどういう心境だったのですか?

「他のクラブからもオファーはありましたが、広島から2年連続でオファーがあるとは全然考えていなかったんです。僕もずっとJ2でやりたいと思っているわけではないし、仙台が翌年J1に上がるための明確なビジョンを示してくれるかが、残留か、移籍かの一つの大きなポイントになりました。そう考えたとき、広島は3年計画最後の年で、剛さんもフロントも選手も勝負を懸けたいという思いがとてもよく伝わってきたんです。だから僕もそこに入ってプレーヤーとして勝負したいと思いました」

―移籍を決意するに当たっては、色々と複雑な思いもあったのでは?

「悩みすぎたせいか、何を基準に答えを出せばいいのか分からなくなっていました。サッカー選手としては、当然上のレベルでプレーして、優勝争いをするのが一番です。でも一方で仙台を裏切れないという気持ちもありました。『仙台をJ1に戻す』と常に言葉に出していたので、裏切り者なんじゃないかな、って。そうやって悩んでいたときに、『降格したとき移籍していく選手もいたけれど、その中で残ってJ1に上げるためにプレーして、個人的にはしっかりとした数字も出したじゃないか。それでもう、十分責任は果たしただろう』と剛さんに言われたんです。その言葉で、色々なもやもやがすっきりした気がしました。それからはサッカー選手としてもっとうまくなりたい、色んなことを吸収して成長したいという思いが強くなって。家族の考えも聞いておこうと思って、妻にも相談しました。当然『2年間生活して環境にも慣れているから、仙台に残りたい』と言うと思っていたのですが、返ってきたのは意外な言葉でしたね。『それだけ誘ってくれるのはありがたいことだし、J1でプレーしている姿を見たい』と言ってもらいましたから。家族がサポートしようと思ってくれたことは本当に嬉しかったし、それでもう一度高いレベルで勝負しようと決心できました」

ー仙台を離れる時はサポーターからも相当惜しまれたと聞きました。

「仙台のサポーターは試合中一緒に戦っている気持ちにさせてくれるので、とても好きだし、感謝しています。仙台での最後の練習にもサポーターが来てくれて、涙を流してくれる人もいました。僕は絶対にサポーターの前では泣かない、と決めていたんですけど、自然に涙が出てきましたね。もう止まりませんでした。あれほどまでに愛してくれたサポーターがいたことは、僕の誇りです。そんな仙台のサポーターのためにも、広島でしっかり成長した姿を見せたいと思っています」(続く)