怒鳴られ続けた野球人生

 そう考えると僕は選手時代、ほとんどの指導者から怒られてきた。よく僕のことを指して「野球のエリートだ」なんて言う人がいるが、それはとんでもない話だ。確かにソウル五輪に参加できたり、いくつかの結果は残せたかもしれないが、僕はいつも叱られ、叩き落とされ、ボロクソに言われてきた。陽の当たる瞬間もなくはなかったが、それは一瞬のことで、野球人生のほとんどは「そんなんじゃだめだ!」「どうしてそんなことができないのか!」と怒鳴られ続けてきた。

 本当にどの指導者の顔を思い浮かべても、怒られているところしか思い出せない。褒めてもらった記憶というのはほとんどない。だから僕自身、誰かを褒めることが得意じゃないのかもしれない。それでも僕はこれまで出会ってきたすべての指導者に感謝している。すべての人が厳しく接してくださり、昭和の時代の野球道を叩き込んでくれた。

 僕は小突かれやすい性質なのか、たくさん手も上げられたけど、常にその裏にある愛情を感じていた。今はなかなか「叩かれて愛情を感じる」という解釈は通用しにくい世の中だが、僕個人としては良い教育を受けさせてもらったと思っている。それはたとえプロ野球選手になっていなかったとしても生きる上で役に立つ教えばかりで、僕という人間の根幹をつくってくれたのだ。

 そんな経歴を踏まえた上で改めて見てもらうと、僕の性格がこうなったのも理解していただけると思う。妥協するのが嫌い、弱い男が嫌い、言い訳する選手が嫌い……厳しい指導者にばかり育てられてきたので、おのずと他人に対しても厳しい人間になってしまったのだ。

 そんな僕にとって、自分が引退した後のカープというチームには納得できないところが多かった。マーティとは現役時代から親しかったし、今でも親友と呼べる関係だ。だから彼の仕事を批判するつもりも否定するつもりもない。

 ただ、野球とベースボールの違いを理解せず、2つの良いところだけをとって楽をしようとしている当時の風潮が許せなかった。表面的なメジャーの文化を取り入れて、「ちょっと身体が痛いから、今日はやめておきます」「違和感があるからトレーナーからストップがかかりました」などという言い訳が通用するチームの空気に危機感を持っていた。

 これじゃあ、勝てない。特に若手を鍛えて伸ばしていかなければいけないカープという球団がこんなことをしていたらダメになってしまう―そんな気持ちが渦巻いていた。ガラッと戻したい——僕はそう思った。