2010年から5年間カープを率い、25年ぶりの優勝への礎を築いた野村謙二郎元監督。この特集では監督を退任した直後に出版された野村氏初の著書『変わるしかなかった』を順次掲載し、その苦闘の日々を改めて振り返る。
「変わるしかなかった。」のご購入は、広島アスリートマガジンオンラインショップ

 

 そしてプロに入るとコーチの大下剛史さんに鍛えられた。(山本)浩二さんも相当厳しかった。第二次政権の頃は多少丸くなられたが、監督を始めてすぐの頃は怖くて近寄れないほどだった。

 唯一、優しく接してくださったのは三村(敏之)さん。三村さんは賢い方で、ものすごく野球を知っておられた。三村さんはいつも僕を持ち上げてくれて、「今のおまえだったら広島駅を通過する新幹線も止められるぞ。おまえはそれくらいの選手なんだ」などと冗談を交えながら語りかけてくれた。選手を褒めて乗せていくのが実にうまい方だった。

 あと指導者ではないが、厳しかったという意味で忘れられないのが前オーナーである故・松田耕平さんの存在だ。前オーナーは誰よりも野球に熱心な方で、僕は試合終了後に追いかけられたこともある。あれは優勝した翌々年の1993年だっただろうか。ふがいない負け試合に前オーナーが激怒して、試合後、「おまえがつまらんからチームが弱いんじゃ!」と叫びながらロッカールームまで僕のことを追いかけてこられたのだ。

 そのときはトレーナーに、「ここに隠れとけ」と言われて、ロッカーの隅に置いてあった段ボール箱の中に入り、上からタオルをかけてやり過ごした。「気付かれたらどうしよう……」と震えながら、段ボールのすぐ上で、

「野村はどこに行ったんだ!」
「いや、さっきまでここにいたんですけど……」
「あいつにゃあ、シャンとせえって言っとけ!」

 という会話が飛び交うのを聞いていると寿命の縮む思いがした。前オーナーには本当にかわいがっていただいたが、球団オーナーに直接追い回されたことのある選手というのは球界広しといえ僕くらいのものかもしれない。