2010年から5年間カープを率い、25年ぶりの優勝への礎を築いた野村謙二郎元監督。この特集では監督を退任した直後に出版された野村氏初の著書『変わるしかなかった』を順次掲載し、その苦闘の日々を改めて振り返る。
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 そしていよいよシーズン開幕―。開幕前は正直「何勝できるんだろう?」という気持ちだった。何勝といってもポジティブな方の想像ではない。いったいチームは何回勝てるのか、不安で不安で仕方なかった。あとは「開幕から10連敗ぐらいしたらどうしよう……」とも考えた。実際それに近いことになってしまうのだが、どうしても頭の中は悪い方悪い方に行ってしまっていた。

 メディアや選手たちには「優勝するぞ」と言っている監督が、一方で「10連敗するかも……」と思っていることは矛盾するかもしれない。だけど僕は怖かった。キャンプやオープン戦を通してやれることはやってきたが、結果がどのように出るのかはまだ何もわからないのだ。

 チームの浮沈に関しては、外国人選手がどうはまってくれるかに懸かっていると考えていた。この年に獲得したのはオーストラリア人の(ジャスティン)ヒューバー。3Aで成績を残していた選手で、僕は彼がロイヤルズにいた時代に知り合い、練習熱心なところと真面目な性格が気に入っていた。もうひとりは左打者のフィオ(ジェフ・フィオレンティーノ)。2人とも開幕戦では先発出場を果たしたが、結論から先に言えば彼らは日本の野球にフィットすることができず、この年でチームを去ってしまった。

 2010年のオープニングゲームはナゴヤドームでの中日戦だった。マエケン(前田健太)が先発して3対1で勝利。まずはホッとした。開幕戦を勝ったことで本当に気は楽になった。憶えているのは、試合終了直後にマエケンが「監督としての初勝利、おめでとうございます」と言ってボールを持ってきてくれたこと。だけど僕はモノや記念品にまったく興味がないので「おまえが持ってていいよ」と言ってウイニングボールを受け取らなかった。とにかくまだ1試合を終えたばかり。明日の戦いに向けて頭の中はいっぱいだったのだ。

 しかし2戦目から早くも怖れていた事態が発生する。3月27日の中日戦から4月4日の巨人戦まで7連敗。ホームのマツダスタジアムで初勝利をあげるのは、開幕15試合目まで待たなければいけなかった。いきなりスタートでつまずいてしまったのだ。