2022年の幕が上がった。昨年はカープ、サンフレッチェ共に、思うような結果を残せなかったが、若手が台頭するなど、未来への希望を抱かせてくれる戦いを見せてくれた。また、東京五輪が開催されるなど、スポーツがおおいに盛り上がった一年になったと言えるだろう。

 広島アスリートマガジンWEBでは、これまでカープやサンフレッチェをはじめ、広島のスポーツの魅力を伝えてきた。そこで、昨年特に反響の多かった記事を振り返り、2022年のスタートを切る。

 ここでは、サンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。今回は、サンフレッチェ広島・名DFの象徴とも言える番号を取り上げる。(2021年7月23日掲載)

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2020年シーズンからサンフレッチェ広島のキャプテンを務める佐々木翔。

◆アトランタ五輪に出場しゴールを決めたDF

 日本の男子サッカーの五輪出場は、現在開催中の東京五輪で7大会連続11回目。連続出場が始まった1996年アトランタ五輪は、日本サッカー史の大きな転換点の一つだ。銅メダルを獲得した1968年メキシコシティー五輪以降、ワールドカップ(W杯)も含めて世界大会に出場できず、長い低迷期を過ごしたものの、アトランタ五輪の2年後にはW杯初出場を果たし、いまや両大会とも常連国となっている。

 五輪における男子サッカーは1992年バルセロナ五輪以降、23歳以下の年齢制限が設けられており(東京五輪は1年延期の特例措置で24歳以下。年齢制限を超える選手も3人まで参加可能)、前述のアトランタ五輪ではサンフレッチェ広島の若手3人がメンバー入り。GK下田崇、MF路木龍次と並んで名を連ねたのが、当時22歳だったDF上村健一だ。 

 福山市の松永高から1993年にサンフレッチェに加入。1年目から多くの試合に出場し、マンマークとヘディングの強さを生かして活躍した。アトランタ五輪で日本はグループステージ敗退となったものの、上村はハンガリーとの第3戦で、CKからヘディングでゴールを決めている。

 1997年に始まった固定背番号制では19番をつけた。左膝前十字靭帯断裂などの負傷を克服し、2001年には日本代表に初選出。日韓W杯を控えていた2002年に今度は右膝の前十字靭帯を断裂し、W杯出場こそならなかったものの、翌2003年には初めてJ2に降格したサンフレッチェの守備を支え、1年でのJ1復帰に貢献している。出生地は熊本県だが、地元の高校からサンフレッチェでプロとなり、在籍11年間で公式戦300試合以上に出場した、クラブ史に残る名選手だ。

◆『DF』と『FW』のコンバートを繰り返した、異色の経歴の持ち主

 2004年途中から19番を受け継いだのが、盛田剛平。このコラムでは選手名の前に『DF』『FW』などポジションを入れているが、この人は、どれを書くべきか難しい。 

 駒澤大で頭角を現したときはFW。189センチの長身を生かしたヘッドはもちろん、利き足の左足から繰り出すシュートも力強く、ポストプレーも巧みな大型ストライカーとして注目されていた。多くのJクラブが争奪戦を繰り広げた末に、浦和レッズへの加入が決定。当時インタビューした筆者に「駒場スタジアム(当時の浦和レッズの本拠地)に盛田コールを響かせたい」と目を輝かせながら語っていた。

 ところが、1999年のプロ入り直後からレギュラーとして出場したものの、なかなか結果を出せなかった。期限付き移籍したセレッソ大阪と川崎フロンターレでもFWとしては結果を残せず、2002年に完全移籍した大宮アルディージャではMFでもプレーしている。

 2004年途中にサンフレッチェに期限付き移籍したときは、FWとしての加入だった。このとき背番号19をつけたことが、その後の運命を決めたのかもしれない。完全移籍した05年にFWのポジション争いで後れを取り、出場機会が大きく減った盛田は、同年末にDFへのコンバートを志願する。

 これが大成功だった。06年からは体格を生かした力強い守備で新境地を開拓し、頼れるDFに変身して印象的な活躍を見せた。2012年にヴァンフォーレ甲府に完全移籍し、2014年以降はFW不足のチーム事情から再びFWでプレー。Jリーグの公式HPでもポジションはFWになっているが、広島では背番号19=DFの歴史に名を刻んでいる

◆リハビリを乗り越え、日本を代表するDFへ

 現在も背番号19をつけているのは、DF佐々木翔。2015年にヴァンフォーレ甲府から完全移籍で加入したときに19番を託され、昨季で在籍7年目を迎えた。 

 加入1年目のチャンピオンシップ決勝第1戦で、ヘディングシュートで同点ゴールを決め、3回目のJリーグ制覇に貢献。だが翌2016年に右膝前十字靭帯断裂の重傷を負い、2017年に同じ個所を再び断裂して約2年間、公式戦出場から遠ざかった。対人プレーとヘッドの強さというプレーの特徴だけでなく、苦闘のキャリアも、背番号19の上村をなぞるようだった。

 だが、厳しいリハビリを乗り越えて2018年に完全復活を果たした。以降はセンターバックやサイドバックなど、複数のポジションで質の高いプレーを見せて最終ラインを支え、2020年からはキャプテンを任されている。

 本人はサンフレッチェに加入したとき、19番に特に思い入れはなかったようだが、サンフレッチェでプレーを重ねるごとに思い入れが強くなり、「いまは19番が好きですね」と語る。

 完全復活を果たした2018年には、日本代表にも初選出された。2018年9月の代表デビュー戦の背番号は4番だったが、現在は19番になり、来年のカタールW杯出場も期待される。サンフレッチェの名DFの象徴とも言える19番を背負い、日本を代表して世界の舞台で戦う姿を、ぜひ見たいものだ。

文/石倉利英(スポーツライター)