2012年から2017年に広島でプレーし、黄金期を築いた攻撃的DF・塩谷司。 UAEから4年ぶりに、一回り大きくなって帰ってきてくれた。「日本に帰って来るなら広島だと心に決めていた」と語った塩谷。2022年、必ず広島で再爆発してくれるはずだ(全3回のうち2回目。取材は12月上旬)
◆〝試合のヒーローになるぞ〟という気持ちでプレーに臨む
―塩谷選手はDFでありながら攻撃的なプレーが印象的です。もともと得点に対する意識が高いのですか?
「サッカーは、やっぱり点を取るのが一番楽しいです。 DFだから守備だけしておくのではなくて、チャンスがあれば上がっていって点を取りたい。〝試合のヒーローになるぞ〟という気持ちで、いつもプレーしています。攻撃の部分を評価していただけるのは、そういう意識の表れなのかなと思います」
―広島復帰以降は、サイドバックやボランチなど、さまざまなポジションでプレーされています。
「2022年シーズンからは監督が変わりますし、フォーメーションがどうなるのかも今の時点では全く分かりません。なので、監督が決めたことに対して、自分ができることをやるだけだと思っています。いろんなポジションをできることが良いことなのか悪いことなのかは分かりませんが、それがチームの助けになるのであれば、プラスに捉えてプレーしていこうと思います」
――広島のDFは、鉄板と言われる3人(野上結貴・荒木隼人・佐々木翔)でほぼ固定されてきました。塩谷選手が復帰したことでDFのポジション争いが激しくなったように感じます。
「ボランチでの出場が多かったですし、DFの3人はやはり鉄板なので、僕自身にそういった思いはありませんでした。ただ、いつでもそこのポジションにくい込んでいけるように、3人が脅威を感じる存在にならないといけないと思っています」
―海外を経験し、体が一回り大きくなられたように感じます。UAEで肩を怪我された時に鍛えたと聞きました。
「フィジカルコンタクトの中で怪我をしたので、もう少し体を大きくしようと思ったんです。外国人選手は体の強い人が多いので、そこに対応できるようにしました」
―所属されていたアル・アインFC(UAE)は、毎年タイトルを取るのが当たり前のようなチームだったそうですね。その中でプレーすることによって、意識や考え方の変化などはありましたか?
「緊張するタイプではないのですが、勝たないといけない、数字を残さないといけないというプレッシャーは大きかったです。なかでもアシストや無失点の数など、数字に対するこだわりは強くなりました」(続く)
《プロフィール》
塩谷 司(しおたに つかさ)
1988年12月5日生 徳島県出身/DF
■ クラブキャリア
2011 水戸ホーリーホック 3得点
2012 水戸ホーリーホック 2得点
2013 サンフレッチェ広島 0得点
2014 サンフレッチェ広島 6得点
2015 サンフレッチェ広島 3得点
2016 サンフレッチェ広島 5得点
2017 サンフレッチェ広島 0得点
2021 サンフレッチェ広島 1得点
※記録はリーグ戦のみ。
※2017年〜2021年はアル・アインFCに所属。