昨季30歳を迎えて、同期入団の今村猛は現役引退。カープでの13年目は、新たな気持ちと共に迎える一年となる。昨シーズンは打率1割台、0本塁打に終わるなど低迷が続いた。それだけに今季は、悔しさを晴らす大事なシーズンとなる。

 逆境に陥っても大好きな野球に対して真摯に向き合ってきた。ユニホームを着続ける限り、何があっても決して諦めない。背番号7の今季に懸ける決意を届ける。(全3回のうち3回目・取材は1月中旬)

プロ13年目を迎えた堂林翔太。日南キャンプでは精力的に汗を流し、リベンジの一年に燃えている。

◆“恩返しできた”と胸を張って言えるような成績を

ーまずは昨季の話から伺います。キャリアハイの数字を残した2020年からの飛躍が期待されたシーズンでしたが、思うような結果を残せませんでした。

「本当に情けない1年でした。〝何もやっていない1年〟になったと思います」

ー2020年から成績が落ちた要因についてはどう捉えておられますか?

「そうですね……(少し沈黙)。いろいろな理由はありますが、一番大きな原因は単純に実力不足だと思っています。それに尽きますね。ただ、昨年の悔しい経験をマイナスとして捉えるのではなく、現実をしっかりと受け止めて、それを糧に成長していかないといけません」

ー昨年は二軍で過ごすことが多かったと思いますが、由宇球場(二軍本拠地)での時間は、自分を見つめ直すきっかけになったのでしょうか?

「見つめ直すという感覚はなかったですね。ケガをしていないのに、二軍にいる自分が情けないと思っていましたし、とにかく自分に腹が立って仕方なかったです。二軍の試合では結果を出すことを最優先に考えていました。1日も早く一軍に上がるために、とにかくもがき続けるだけでした。そういう思いで毎日を過ごしていた記憶しかないですね」

ー昨夏、由宇で、当時の二軍打撃コーチの東出(輝裕・現一軍野手総合コーチ)コーチに話を聞いた時、「堂林は別格だ」と言われていました。二軍で打ち込んだことで得たものもあったのでは?

「どうですかね……、正直なところ得たものはほとんどありません。結局、調子が上向いてきたのはシーズン後半。それまでは二軍でも打率が2割台前半で、本当にどうしようもない状態でしたから。ただ、二軍の試合に出させてもらい、打席を重ねていくうちにだんだんと良い時の感覚が戻ってきたというのはありますね」

ーもがき続けた1年になりましたが、オフには国内FA権を取得されました。結果的にはカープに残る道を選ばれますが、権利を行使するかどうかで悩まれたのでしょうか?

「そんな迷いは、全くなかったです。僕のような成績の選手が他球団から話を聞けるなんて思っていませんでしたし、とにかく昨年の悔しさが大きかったので。まずは今年1年カープでしっかりと成績を残して、優勝争いをしたいという気持ちだけでした」

ー残留会見では「育ててもらったカープに愛着がある」という言葉を残されました。カープでの12年間、たくさんの方々との出会いがあったと思いますが、堂林選手にとって〝一番大きな出会い〟はどなたとの出会いでしょうか?

「僕がここまでプロ野球選手としてプレーできているのは、高卒3年目の2012年に一軍でプレーするチャンスをいただけたことが大きいと思っています。打てない時期が続き、いろんな声があったと思いますが、我慢して我慢して一軍の試合で使ってくださった当時の野村(謙二郎)監督には感謝の気持ちしかありません。ただ、そこからのプロ生活で〝恩返しできた〟と胸を張って言える成績を残せていないのはただただ申し訳ないと感じています」

ーカープ残留を決断した際、野村さんに連絡はされたのでしょうか?

「宣言するかどうかで迷うことがなかったので連絡はしていません。とにかく1年でも長くプレーして、恩返しできたと胸を張れるような成績を残していきたいですし、年齢も30歳を迎えたので、これからは結果だけを求めてやっていきたいです。後ろを振り返っても仕方ないので、前だけ見据えて、良い意味で開き直って野球と向き合っていきたいですね」(続く)

プロ3年目で一軍に大抜擢。開幕からサードに固定され全144試合に出場し、チームトップの14本塁打を記録した。低迷が続くチームの中でのニュースター誕生は明るい話題となった。

◆堂林翔太 #7
1991年8月17日生、愛知県出身
183cm・92kg/右投右打/内野手/プロ13年目・30歳 中京大中京高-広島(2009年ドラフト2位)