球団歴代最多ホールドを記録し、3連覇を支えた鉄腕リリーバーが、昨年12月に現役を引退した。30歳の若さでの引退を惜しむ声も多かったが、鉄腕の体は限界を迎えていた。今回の独占ロングインタビューでは、カープでの12年間、引退を決めた本当の理由、そしてこれからの人生について赤裸々に語ってもらった。今村猛から贈られたメッセージを届ける。(全5回のうち4回目・取材は1月中旬)

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2009年のドラフト1位で入団。競合が予想されたが単独指名に成功した。2位で堂林翔太(右)が入団。甲子園を湧かせた2人の加入はカープの明るい未来を予感させた。

◆とにかく野球に対して貪欲。見習うところが多かった堂林

─今季から選手会長に就任した大瀬良大地投手は今村さんと同じ長崎県出身で同学年。大瀬良投手から受ける影響も大きかったのではないですか?

「もちろん大きかったですね。高校の頃から『すごい投手だな』と思っていました。大瀬良とは高校3年の夏の甲子園予選で投げ合って、結果は僕らの高校が敗戦。甲子園での春夏連覇の目標が途切れて、大瀬良の高校(長崎日大高)が夏の甲子園へ。この頃から、勝手に〝運命のようなもの〟を感じていました。大学4年間を経てカープに入ってきて、彼自身、決して順風満帆ではなかったと思います。もがく姿を何度も見てきましたから。ただ、一つひとつ壁を乗り越えながら、『大瀬良大地』という多くの人が憧れる選手像を実現していったところは素直にすごいと思いますね。僕自身も、大瀬良の姿からいつも刺激を受けていました」

─今でこそ〝カープのエース〟と呼ばれる存在ですが、リリーフを経験した時期(2015〜2016年)もありました。

「彼がリリーフとして投げていた頃は、ブルペンを含めて一緒に過ごす時間も多かったですが、大瀬良は僕と違って、先発もリリーフもできる〝オールラウンドな投手〟だと改めて感じましたね」

─オフの間に、大瀬良投手と話す機会はありましたか?

「12月上旬に一緒に食事に行きました。その頃には僕自身、引退する気持ちを固めていたので大瀬良にも報告しました。今年から新しい肩書きが増えて大変だと思いますが、彼なら大丈夫でしょう。大瀬良はそういう頼れる男です」

─同学年で言うと、同じ年のドラフトで入団した堂林翔太選手の存在も大きかったのではないですか?

「そうですね。チームメートになって、壁にぶち当たってめちゃくちゃもがいているところを何度も見てきましたからね……。2020年にキャリアハイの成績を残したと思ったら、翌年にまたもがいて……。変に捉えられるかもしれませんが、彼のそういう姿は刺激になっていました。僕と違って真面目で(苦笑)、とにかく野球が大好きな選手です。上手くなるために、いろいろな人から話を聞いていましたし、それを吸収しようと必死に練習していました。とにかく野球に対して貪欲。見習うところが多かったです」

─今村さんにとって堂林選手はライバルという存在でしたか?

「ポジションが違うのでライバルという感じではなかったです。逆に同学年ということもあって、堂林が活躍するとうれしかったですね。もちろん、チームメートの誰が活躍してもうれしかったですが、同学年の選手が良いプレーをすると他の選手以上にうれしかったです」

─では現役時代の今村さんにとって、ライバルと呼べる存在は誰でしたか?

「基本的には同じポジションの投手ですね。なので年代ごとにライバルだと思う選手は変わっていました。昔だとサファテやミコライオ、ここ数年ではケムナ(誠)や塹江(敦哉)などですね」

─近年は野手、投手ともに若い選手の活躍が目立っています。若手の成長を今村さんはどう見ていましたか?

「頑張っている姿を見ているだけに、うれしさと悔しさが混じったなんとも言えない気持ちでした。ただ、どちらかと言えば、やっぱり悔しかったですよ。特に僕はケガをして二軍にいたわけではなかったので、悔しい気持ちのほうが大きかったですね」(続く)

◆今村猛(いまむら たける)
1991年4月17日生、長崎県出身。30歳。清峰高-広島(2009年ドラフト1位)。プロ2年目にリリーフに転向すると54試合に登板。2012年には球団新記録となる29試合連続無失点をマークするなど、69試合に登板。オフには侍ジャパン入りを果たし、リーグを代表するリリーフへと成長した。2016年は勝利の方程式の一角を担い67試合に登板し、25年ぶりのリーグ優勝に貢献。リリーフとして球団史上初の3連覇を支えた。2021年12月に現役を引退。