球団歴代最多ホールドを記録し、3連覇を支えた鉄腕リリーバーが、昨年12月に現役を引退した。30歳の若さでの引退を惜しむ声も多かったが、鉄腕の体は限界を迎えていた。今回の独占ロングインタビューでは、カープでの12年間、引退を決めた本当の理由、そしてこれからの人生について赤裸々に語ってもらった。今村猛から贈られたメッセージを届ける。(全5回のうち3回目・取材は1月中旬)

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ノビのあるストレートと切れ味鋭いスライダー、優れた制球力を武器に、カープの勝ち継投を支えてきた。本人曰く、2012年のストレートは打たれる予感がしなかったという。

◆右手の指が勝手に動いてしまう。最後まで取り戻せなかった豪球

─球種でいくと、やはりストレートが印象的です。納得のいくストレートを投げることができた時期はいつ頃ですか?

「プロ3年目の2012年ですね(69試合に登板)。この年が一番でしたね」

─2016年、2017年よりも?

「そうですね。2012年のストレートを取り戻したい気持ちがありましたが、ちょっと無理でした(苦笑)」

─2012年のストレートはどういった部分が優れていましたか?

「僕は投げている側なので、何がどう優れているのか言葉にしづらいのですが、キャッチボールの時や、バッテリーを組む捕手の反応、対戦する打者の反応を見るのがとにかく〝楽しかった〟です。このストレートをしっかり投げ切れば、ほぼ確実に打者を打ち取ることができるだろうという気持ちは正直ありましたね」

25年ぶりのリーグ優勝を決めた2016年9月10日の巨人戦(東京ドーム)。2点リードの7回に、先発の黒田博樹からマウンドを受け継ぐと、巨人打線を無失点に抑えて、ジャクソン、中﨑へとつないだ。

─リリーフに転向してから毎年チーム上位の登板数を重ねてこられましたが、2019年以降は登板数がガクッと減りました。今だから聞きますが、この頃から体の違和感を感じておられましたか?

「そうですね……ありましたね。具体的に言うと、体が自分の感覚とは違う動きをして、ストレートをうまく投げることができなくなりました。マウンドで左足を上げて投球動作に入ってから、リリースするまでの間に、右手の指が〝勝手に〟動いて、球の握りが変わってしまうことが増えました。本来の握りとは違うので、当然ですが思い通りの軌道のストレートを投げることはできません。イップスとまではいきませんが、その違和感を修正することができませんでした」

─それは最終年となった2021年も拭えていなかったのでしょうか?

「この頃は少しずつ修正できるようになっていましたが、無意識のうちにその違和感が顔を出すこともありました。なので、毎試合同じパフォーマンスを発揮することができませんでした」

─結果的に2021年10月14日、球団から戦力外通告を言い渡されました。この時の率直な気持ちを教えてください。

「そうですね……(少し沈黙)。結果を残せていないだけに覚悟はしていました。ただ、いざ戦力外という立場になると〝悔しい〟気持ちしかなかったですね」

─その〝悔しさ〟というエネルギーを原動力にして、他のチームで現役を続ける道は模索されなかったのでしょうか?

「迷いましたし、このまま終わっていいのかという葛藤もありました。ただ……(少し沈黙)、2019年オフの契約更改の時に『大野さんのカープでの登板数(707試合)を更新したい』と言ったんです。カープでそれを達成することを目標にしていたので、別の球団に移籍してでも投げ続けるという気持ちは、他の選手と比べると、正直薄かったですね」(続く)

今村が一番印象に残ったと話す2016年シーズン。この年、今村は67試合に登板。3勝22ホールドをあげ防御率は2.44の成績を残し、25年ぶりの優勝に貢献した。

◆今村猛(いまむら たける)
1991年4月17日生、長崎県出身。30歳。清峰高-広島(2009年ドラフト1位)。プロ2年目にリリーフに転向すると54試合に登板。2012年には球団新記録となる29試合連続無失点をマークするなど、69試合に登板。オフには侍ジャパン入りを果たし、リーグを代表するリリーフへと成長した。2016年は勝利の方程式の一角を担い67試合に登板し、25年ぶりのリーグ優勝に貢献。リリーフとして球団史上初の3連覇を支えた。2021年12月に現役を引退。