2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。共に紫のユニホームを着たチームメイトがピッチ上で見せた才能、意外な素顔などを連載『エースの証言』で振り返っていく。

【森﨑和幸・後編】いつか一緒に仕事がしたい。違う立場で力を合わせて

2012年、ホームのエディオンスタジアム広島で、クラブ初タイトルとなるJ1リーグ初優勝を達成。森保一監督、森﨑兄弟と共に優勝シャーレを掲げ、最高の瞬間を祝った。

 2012年、カズと共に、J1リーグ初優勝を達成できたのは、決して忘れることのない素晴らしい思い出です。

 表彰式でJリーグの大東和美チェアマンに、チャンピオンフラッグはカズと浩司に渡してほしいとお願いしました。サンフレッチェの象徴として、いろいろなものを背負ってきた2人が報われてよかった。喜んで掲げている姿を近くで見ることができて、最高の瞬間でした。

 カズと浩司とは真っ先に喜びを共有したいと思ったので、初優勝の翌日、3家族で集まって食事をしたんです。こういう喜びだけでなく、J2に降格したときなど、難しい時期も一緒に過ごしてきた2人は、単なるチームメートや同級生という枠を超えた存在でした。

 そこからJ1で3回優勝することができ、年齢を重ねていきながら、3人の中で最初に引退するのは誰かな、みたいな話もするようになっていました。2016年に浩司が引退するのですが、僕もその年限りでサンフレッチェを去り、名古屋に移籍することになります。

 カズに移籍することを伝えたら驚いていました。最終節が終わった時点では、僕自身も移籍することになるとは思っていなかったので、驚くのも無理はありません。ただ、僕の出場機会が減っていたのは事実で、いずれ訪れるタイミングがあのときだったということです。

 カズが引退した2018年は、夏頃に広島で会ったときから、引退も考えていると聞いていました。当時37歳ですから年齢的にそういう話も多くなります。10月、最終的に引退を決断したときは、浩司と3人で食事をしました。

 ホーム最終戦の相手は名古屋で、僕はケガもあってメンバーから外れたのですが、試合後のセレモニーのために広島に行きました。浩司と駒ちゃんの3人で花束を渡した僕は、記念撮影でカズの横に立ったら、泣いてしまって……。あとでカズは「他の2人は泣いてくれなかった」と言っていましたけどね(笑)。

 2020年、僕が引退を決断したときには電話で報告しました。それまでに何度も電話して相談したり、報告したりしていたので、驚いてはいなかったです。

 カズはJリーグのベストイレブンに一度も選ばれていません。特に2012年、J1初優勝に貢献したのに選ばれなかったときは、僕も怒り心頭でした。本人も悔しかったはずですが、だからといって目立とうとするのではなく、常にチームのことを考えていました。一緒にプレーした選手に高く評価される方が、本人もうれしかったのではないでしょうか。

 カズは僕にとって『同志』。良い時期も苦しい時期も共有しながら、同じ目標に向かって進んできました。お互いを尊重しているからこそ、厳しいことも言い合える関係で、カズと浩司がいたからこそ、僕も広島の街やサンフレッチェを、より好きになることができたと思います。

 いま僕はサンフレッチェから離れていて、それぞれの立場で勉強中の身ですが、いつかカズと一緒に仕事がしたいです。選手としてユニホームに3つの星をつけることができたので、今度は違う立場で力を合わせて、サンフレッチェの星を増やす作業ができればと思っています。

◆森﨑和幸(もりさき かずゆき)
1981年5月9日生、広島県出身。1999年、ユース所属の高校3年時にJリーグデビュー。2000年にJリーグ新人王。二度のJ2降格時も残留し、2012年以降の3回のJ1制覇に貢献した。2018年限りで現役を引退、翌年からサンフレッチェのクラブ・リレーションズ・マネージャーを務める。

◆佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し2012年にはMVPと得点王を獲得。2020年限りで現役引退。通算のJ1得点数は歴代2位。引退後は指導者・解説者として活動中。