これまで『広島アスリートマガジン』が撮影してきた、広島スポーツにまつわるカットを蔵出し公開。今月は『2010年1月号』から撮影当時の様子と合わせて、毎週1枚ずつ紹介していきます。

プロ2年目のオフにインタビューに応じる、当時24歳の松山竜平選手。

 チームでも指折りのスラッガーとして存在感を見せる松山竜平選手。今回紹介するのは一軍出場なしに終わった2009年オフに行われたインタビューでの一コマです。

 2009年はキャンプ中の故障などで出遅れ、一軍出場なしに終わっただけに、肉体改造を中心としたさまざまな変化を自らに課していました。

「キレを取り戻すために体を絞ろうと思っています。何かを変えなければいけないという思いがあったので、退寮を決めました。」

 また、それまで2008年オフからアリゾナで自主トレを行なっていた松山選手ですが、この年は当時のチームメートで同じ左打者・嶋重宣選手(現西武二軍打撃コーチ)の石垣島自主トレに同行。首位打者の獲得経験もある先輩の技術を盗もうと試みていました。 

「嶋さんから電話で石垣島での自主トレに誘ってもらって迷わず『ついて行きます』と即答しました。嶋さんのスイングには無駄がなくシンプルですし、吸収できるところはたくさんあります」

 結果、2010年も一軍での試合出場なしに終わったものの、2011年に自己最多の68試合に出場し、初本塁打も記録。少しずつですが、その頭角を現していくようになっていきます。

 その後の活躍は説明するまでもなく、チームでも今や石原選手、長野選手に次ぐ年齢となった松山選手。今季も勝負所での力強い一打を数多く見せていただきたいですね!

【プロフィール】
1985年9月18日生、鹿児島県出身。
2008大・社ドラフト4巡目でカープに入団。
1年目から一軍試合出場を果たしたものの、2、3年目は二軍暮らしが続きプロ初安打はお預けとなった。2013年に一軍定着を果たすと、その後も自慢の打撃で存在感を発揮。2018年は自身初の規定打席到達、打率3割を達成。シーズン途中で故障した鈴木誠也にかわる4番として連覇に貢献した。同年オフFA権を行使せずチームに残留を表明した。