強打者をねじ伏せた魂のセットアッパー 鬼軍曹襲名を明言、一軍投手コーチに就任

現役時代は主に中継ぎとして活躍。内角攻めも辞さない気迫あふれる投球でファンを魅了した。牽制球の名手としても知られる。引退後は野球解説者として活躍し、来季からカープの一軍投手コーチに就任することが決定。

 福井県勝山市で4人兄弟の次男として生まれた横山は、川遊びや魚釣りなど外で遊ぶのが好きな活発な少年だった。小学3年生のとき父親から習い事を勧められ、「野球かそろばん塾か」という二者択一を迫られたときも当然のように野球を選択した。兄と一緒に地元のスポーツ少年団に入ると、そこからは白球を追いかける毎日を過ごした。当時から肩が強く、小4からポジションは投手となった。だがコントロールが悪く、小6のときは捕手にコンバートされた。中学進学と同時に投手に再転向すると、軟式球とはいえ遠投で約100メートルは投げられるようになっていた。

 野球選手としての欲が出てきた横山は、甲子園出場を目指し地元の強豪校である福井商高に進学した。3年夏に県大会決勝で敗れるなど3年間を通じて甲子園出場は果たせなかったが、各球団のスカウトから注目を集める存在となっていた。

 そして94年のドラフト会議でカープが5位指名。「まさか指名されるとは思っていなかった」という横山だが、少年時代から思い描いていたプロ野球選手という夢を叶えてみせた。ちなみに同期は後に新人王を獲得する山内泰幸(1位/現野球解説者)、嶋重宣(2位/現西武二軍打撃コーチ)、朝山東洋(3位/現カープ一軍打撃コーチ)、高橋建(4位/現阪神二軍投手コーチ)、田村恵(6位/現カープスカウト)らである。

 高卒入団ながら3年目には早くも頭角を現した。中継ぎとして56試合に登板すると10勝をマーク。98年のオフに背番号が『53』から『23』に変更になるなど、主力投手としての地位を確立しつつあった。

 ところが先発に転向した99年シーズンから、右肩のルーズショルダーに悩まされることになる。以降6年間は故障箇所の不安が抜けきらず、思うような成績を残せなかった。しかし、地道なケアやリハビリを続けることで、05年にはセットアッパーとして復活。翌年から就任したマーティー・ブラウン監督のアドバイスや、黒田博樹氏からの叱咤激励が転機となり、勝利の方程式の一角として揺るぎない地位を築いていった。

 13年にはプロ野球史上90人目となる500試合登板を達成。腰の手術(11年)などケガに悩まされた現役生活ではあったが、14年の引退までカープ一筋の野球人生をまっとうした。最後は二軍だけではなく、一軍でもシーズン最終戦に引退セレモニーが開催された。長らくバッテリーを組んだ倉義和めがけ最後の一球を投げ込むと、「カープの未来は明るいです」との言葉を残し20年にわたる現役生活に幕を閉じた。

◾️横山竜士  Ryuji Yokoyama
福井県出身/1976年6月11日生/右投右打/投手/福井商高-広島/95年入団-14年引退

【表彰・獲得タイトル・記録】
500試合登板(13年10月2日、対阪神戦/史上90人目)