2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。共に紫のユニホームを着たチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔などを連載『エースの証言』で振り返っていく。

佐藤寿人(前列・左)と駒野友一(前列・左から2人目)が一緒にサンフレッチェでプレーしたのは3年間だけだが、佐藤は駒野のクロスからゴールを量産。相手の脅威となった。

【駒野友一・後編】高速アーリークロスからサンフレッチェでの初ゴール

 (前編から続く)2005年に僕がサンフレッチェに移籍してクラブでもチームメートになり、連係を深める時間が増えましたが、最初は僕が苦しみました。開幕前の練習試合で無得点、開幕後も6試合ノーゴール。次の2試合は負傷の影響もあってベンチからも外れてしまいます。でも2試合欠場後の第9節・新潟戦でついに初ゴール。44分、右サイドのコマから正確な高速アーリークロスが来て、僕は少し前に入り過ぎましたが、体勢を崩しながらも右足で合わせることができました。

 当時チームは好調で、他に結果を出している選手もいたのに、負傷明けの僕を先発で起用してくれた小野剛監督の判断も大きかったです。それに加えて、コマがあのクロスを上げてくれなかったら、僕はサンフレッチェでのスタートラインに立つことすらできなかったし、その後のキャリアもなかったかもしれません。少し大げさかもしれませんが、足を向けて寝られないくらい感謝しています。

 コマと、左サイドの服部公太さんは、クロスだけでなく、クロスへの持ち込み方がうまかった。さあ上げますよという感じでボールを持つと、相手DFはすぐにブロックにいきます。でも2人は〝目がいい〟というのか、上げないような素振りをしても僕のことが見えています。そこが、ずば抜けてうまかったです。

 また、コマには「常にワンステップでクロスを上げられるところにボールを置いて」と要求していました。これができない選手は多くて、止めた後に1つ、2つ触ってから上げても、相手DFに対応する時間を与えてしまい、ボールが来てもゴールできない、というケースが結構あるんです。でもコマはそれができる上に、止めた後にワンステップで、正確なロングパスを蹴ることもできました

 サンフレッチェで一緒にプレーしたのは3年間ですが、コマはリーグ戦だけで僕に12アシストもしてくれました。印象深いのは、2005年の第33節・神戸戦での2点目と、2007年の開幕戦・FC東京戦での2点目。コマの正確なキックと、僕の動き出しがかみ合いました。

 コマが2008年に移籍した磐田には、日本代表の(前田)遼一がいました。コマが加入するからゴールを量産すると思っていたら予想通り。2009年と2010年に史上初の2年連続Jリーグ得点王となり、その後もコマのアシストから多くのゴールを決めました。その頃は前田と駒野のホットラインと言われ、〝こっちのホットラインの方がすごかったぞ!〟と嫉妬していました(笑)。

 僕にとってコマは、先ほど記したように、サンフレッチェでのスタートラインに導いてくれた『恩人』です。あの新潟戦でのクロスが少しでもずれていたら、ゴールは生まれていません。僕のサンフレッチェでの素晴らしい12年間は、コマのアシストから始まったんです。

 (森﨑)浩司とカズが引退した後、コマと引退について話したときに「体が動く限りはプレーを続けたい」と言っていました。2018年に福岡との契約が満了し、2019年に当時JFLの今治に移籍して、その年のJ3昇格に貢献したコマは、7月で41歳になる今季も今治で現役を続けています。僕も引退してから、好きなサッカーができる現役時代が、一番幸せだと感じることが多いです。コマが望む限り、そして体が動く限り、ピッチに立ち続けてほしいです!

◆駒野友一(こまの ゆういち)
1981年7月25日生、和歌山県出身。
サンフレッチェ広島/2000年〜2007年
2000年にユースから昇格し、2001年から主力として活躍。2001年ワールドユース、2004年アテネ五輪、2006年と2010年のW杯と、各年代の世界大会に出場した。2008年に磐田に完全移籍。FC東京、福岡を経て、今季もFC今治で現役を続けている。

◆佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し2012年にはMVPと得点王を獲得。2020年限りで現役引退。通算のJ1得点数は歴代2位。引退後は指導者・解説者として活動中。