カープの助っ人外国人では最長となる7シーズン在籍し、球団歴代2位の133本塁打を放ったエルドレッド。 退団後は、外国人選手としては異例となる引退セレモニーが開催されるなど、人望も厚かった。

 現在も駐米スカウトとして、カープのために奔走しているエルドレッド。2022年には鈴木誠也に代わる主砲として、マクブルームをスカウトしたことで再びファンの注目を集めた。

 球団史に残るスラッガーが日本で成功を収めた理由。それは、どんな時も諦めない“全力プレー”にあった。ここでは、改めてエルドレッドの言葉と共に、彼の日本での日々を振り返る。

 

◆「いろんなことを教えてもらった」 野球人生を変えた恩師との出会い

 恵まれた巨体から“カントリー”の愛称で親しまれたエルドレッド。観る者を魅了する豪快なスイングから放った本塁打は通算133本。これは、カープの外国人野手では球団歴代2位の記録だ。

 シーズン途中の加入となった2012年、カープでの1年目は約2カ月間で11本塁打を記録。来日当初から持ち味の長打力が際立っていた。

 2014年はシーズンの大半で4番に座り、初タイトルとなる本塁打王(37本)を獲得。25年ぶりのリーグ制覇を果たした2016年には、来日通算100号本塁打をマークし、日本シリーズでは3試合連続本塁打を放つなど、最強助っ人スラッガーとして無限のパワーを見せつけた。  

「一番記憶に残っているのは、カープが初めてクライマックス・シリーズ(以下CS)を決めた中日戦で打った本塁打です(2013年9月25日・中日戦(ナゴヤドーム))。CSに進出するにあたり、すごくプレッシャーのかかる重要な試合でしたし、そんな試合で本塁打を打てたというのが印象に残っています。カープファンのみなさんの反応もすごく良かったですし、喜んでくれている様子が分かったので、とても印象に残った一発になっています」

 日本で成功を収めた理由としてあげられるのは、来日時にカープの監督を務めていた野村謙二郎の存在だ。

 右手首骨折の影響もあり不振に喘いでいた2013年、野村監督の指導が助っ人を覚醒させ、それ以降の目覚ましい活躍へとつながっていった。

「家族も自分も尊敬している方です。すごく家族のことを気にかけてくれましたし、野球のことに関してもいろんなことを教えていただきました。普通チームの監督であれば、あそこまで個人的に指導してくれたり、家族のことを気にかけてくれたりすることは少ないでしょう。そういった面でも気にかけてくれたことは本当にうれしかったですね」

 赤いユニホームを着てプレーした約7年間、Bクラスもリーグ優勝も経験し、低迷期も栄光の時代も知っている。また、プライベートではアメリカとは違う文化、環境を受け入れ、家族で日本での暮らしを楽しんだ。広島の街でママチャリを漕ぐ姿は、何度もカープファンに目撃されている。

 「カープに入ったときはあまり強いチームではありませんでした。しかし時間をかけて強くなっていき、最終的にはリーグ3連覇を成し遂げることができました。チームが強くなっていく過程をチームの一員として体験できたということ。このチームの成長を体感できたということが思い出に残っています」

《プロフィール》
ブラッド・エルドレッド
1980年7月12日生、アメリカ出身
フロリダ国際大-パイレーツ-ロッキーズ-タイガース-広島(2012年途中〜2018年)

2012年シーズン途中にカープ入団。貴重な長距離砲として打線の核として活躍。2013年は序盤に故障離脱したものの、初のCS進出に大きく貢献。来日3年目の2014年には37本塁打をマークし、本塁打王に輝く。2016年には来日通算100本塁打を記録。日本シリーズでは3試合連続本塁打を放ち、敢闘賞を受賞した。2018年シーズンオフにカープを退団。その後NPB復帰を目指したが、2019年夏に現役引退を決断。その後、カープ球団の駐米スカウトに就任。
在籍7年は球団在籍外国人選手では最長。
通算133本塁打はライトルに次いで、球団歴代2位の記録。