カープの外国人選手では球団歴代最多となる、57勝を記録しているK・ジョンソン。

 海外出身選手としては史上2人目となる沢村賞を獲得するなど、3連覇に大きく貢献し、いまなおファンに愛される『最強助っ人左腕』だ。

 ジョンソンが日本で成功を収めた秘訣は、“オープンマインド”の精神にあった。 現役引退表明から約3カ月後、アメリカの自宅から届けられた最強助っ人左腕の言葉と共に振り返る。(後編。取材は2021年11月上旬)

西村公良(球団通訳・左から2人目)は日本での生活を支え続けた、ジョンソンにとってかけがえのない存在だった。

◆大事なのは違いを受け入れること。成功に欠かせないトライする精神

 左腕が日本でプレーするうえで心がけていたことの一つが“オープンマインドでいること”だ。

 これまで蓄積した自らの考えに固執せず、違う意見にも耳を傾け、必要であればその声を取り入れる柔軟さ、寛容さが成功への過程をつくっていった。

 「今でも覚えているのは来日1年目の春季キャンプ。そこで行われていた練習は、それまで経験してきた春のキャンプとは全く違うものでした。ストレッチのメニューやキャッチボールのやり方も含めてです。そしてブルペンでは、初日から100球を投げ込む投手を見て驚いたものです。ただ、そこで大事なのは〝違い〟を受け入れることです。違うことを怖がらずに、まずは挑戦する気持ちを持って、取り入れたほうが良いものがあれば、取り込んできました。この何事にもトライしてみる気持ちがないと成功は難しいのではないかと思います」

 また、ジョンソンは、日本にいた6年間、家族でいろいろな場所に出かけ気分転換を図っていた。異国での日々を楽しもうという気持ちがプレーにも好影響を与えた。

 「言葉が分からない、暮らしのスタイルが違うからと家にいて何もしないのでは良い気分転換はできません。行きたいところがあれば、自分たちの力で行き、その街の雰囲気にふれてきました。球場でも私生活でも〝オープンマインドでいること〟が一番大切だと思いますね」

 2021年8月18日、カープ球団を通して、ジョンソンの現役引退が発表された。引退を決めた一番の決め手はキャリアの最後の球団がカープだったからだ。

 「家族のようなこのチームの一員として野球人生を終えられるのは、喜ばしいことだと素直に思いました。今でも思い出すのは2016年のリーグ優勝です。パレードが行われた日の広島の街の光景、熱狂ぶりを忘れることはありません」

 引退メッセージには『広島は第二の故郷になった』と広島への思いも記されていた。カープファンに愛された左腕自身も、広島の街とそこで暮らす人々を愛していた。

 「広島に帰りたいという思いは夫婦共に持っています。というのも、広島で育った長女が大きくなったとき、住んでいた場所や遊んでいた場所を見せてやり、当時の話をしてあげたいんです。また、広島をあまり知らない長男にも、お父さんとお母さん、お姉ちゃんは、この街で過ごしていたんだよと伝えてあげたい。なので、必ずいつか広島には帰ってきます」

 引退後もカープの試合は頻繁にチェックしているというジョンソン。広島への思いが変わることはない。

 いつかまた会うその日まで……。『おかえりなさい』と言える日を楽しみに待ちたい。

《プロフィール》
クリス・ジョンソン
1984年10月14日生・アメリカ出身
ウィチタ州大-パイレーツ-ツインズ-広島
2015年シーズンにカープに入団。来日初登板で1安打無四球の準完全試合を達成。1年目から14勝。防御率1.85で最優秀防御率のタイトルを獲得した。2年目の2016年は開幕投手を務め、自己最多の15勝。外国人では2人目となる沢村賞を獲得。2018年からは2年連続で2桁勝利を記録。6年間で球団の外国人投手では最多となる通算57勝をあげ左腕エースとして活躍した。
2020年シーズンオフにカープを退団。
2021年8月18日に球団を通して現役引退を発表した。