お笑い芸人として活躍中のザ・ギース尾関高文氏の本連載。これまでカープに在籍した歴代外国人選手を、時には厳しく、時には優しく、時にはユーモアを交えながら、尾関氏ならではの視点で紹介していきます。今回は、1977年〜1982年にカープに在籍したジム・ライトル選手を取り上げます。

◆日本シリーズでは4割3本塁打と大暴れしMVPを獲得

 「ライト・ライトル」。この言葉をいまだに口ずさんでしまうカープファンも多いのではないでしょうか。エルドレッドが更新するまで助っ人在籍記録を保持していた、カープ助っ人最強のバッター。それがジム・ライトルでした。

 ライトルが日本に来たのは1977年。ギャレットと共にカープへと入団し、来日初日から時差ボケも治らぬうちにキャンプの鬼練習に参加します。

 世界でも類を見ない猛練習に驚きを隠せぬライトルでしたが、カープの文化にアジャスト。シーズンが始まると見事結果を出します。相手の癖や配球などをメモするその勤勉な姿勢も評価されるライトル。さすが教員免許を持っていただけありますね。

 1年目から山本浩二・衣笠祥雄らと共にカープの中心打者として3割超の打率を残します。2年目以降も安定した素晴らしい成績を残すライトルは打撃だけではなく、その守備でもファンの度肝を抜きます。特にライトからの返球は芸術的。以前山本浩二さんに「ライトルの肩はとてつもなくすごかった。怪我の影響で肩にボルトが入っていたのにあれほどの送球をするなんて」とお話を聞いたほどでした。

 1979年そして1980年にはカープの連覇中心選手として大活躍。1980年の日本シリーズでは4割3本塁打と大暴れしMVPを獲得します。商品のマツダ車はその後息子さんに譲られたそうですが、ライトルがいたからこそ成し遂げられた2連覇といっても過言ではないでしょう。そんなライトルは最後の年は南海へ。そしてアメリカへと帰っていくのでした。

 アメリカから見れば下のリーグだと思われていた当時の日本に奢ることなく自分を合わせ、手を抜かず努力する人格者ライトルはみんなから愛されました。その後趣味のカメラの写真展を広島で行うほど日本に溶け込んだライトル。精神性も含め「カープ史上最強の助っ人」といっても過言ではないほどの素晴らしい選手でした。

 現在のライトルは故郷のフロリダでゴルフコースの芝調整の仕事をしながら、ゆったりと過ごされているとのこと。法曹関係の仕事をする娘さんが、ビジネスで日本人にあった時「ライトルの娘だ」と伝えたら異常な盛り上がりを見せたそうで、日本のファンに自分を覚えてもらってるのは嬉しいとライトルは言います。

 ライトル氏がいつまでもお元気でいられるよう、そしていつか法曹関係の仕事をしてライトルの娘さんにお会いしたいと心から願うばかりです。

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ザ・ギース 尾関高文(おぜきたかふみ)
広島県東広島市西条町出身のお笑い芸人、熱狂的なカープファン。好きな歴代カープ選手はロビンソン・チェコ投手。 2012年に出演したアメトーーク「広島カープ芸人」で、「カープ OB の北別府さんはブログのコメントに全て返信する」と語り、北別府氏のブログを炎上させた経験を持つ。

[尾関高文公式Twitter]@geeseojeck